5月末、DREAMと修斗を連日ライブで観戦した会場で感じた。
大会規模で言えばDREAMのそれは修斗を遥かに凌駕しており、会場も十倍以上広く、舞台装置も映像も地上波向けに洗練されたモノであった。PRIDEの頃より万人に格闘技が透するようにそういった斬新かつ刺激的な演出でイベント色の濃いメジャー大会として君臨してきた。
しかし、今回の会場でこれまでとは違う観客の異変に気づいた。人気選手の入場時の手拍子も疎らで、試合中にも然程ボルテージも上がらず、試合後の拍手も御座なりで話し声が聞こえてくる始末。要は会場の反応が鈍く一体感が全く感じられない。
その要因は人間の”慣れ”ではないだろうか。
ひとつはデコレーションされた上物を通して観戦するクセがつき、いつしか試合を見ずに選手だけを見る観客ばかりになっていた。そして、もうひとつがカリスマ性のあるタレント不足。大規模会場と地上波放送で一躍有名選手となり、発言こそファンを意識しカリスマぶってみるが、結果が残せず有言不実行を繰り返し飽きられた感が。そもそも、DREAMはコアなファン以上に若年層、女性層といった新規ファンが多く来場する大会だった。興味を持ってもらうには成功したが、期待の選手たちが結果を残せず、ここ最近はファン離れが始まり苦戦し続けている。そんな会場で待望論も鳴り止んだ青木vs川尻を今更、発表しても盛り上がる筈も無い。
格闘技という究極のリアルな場所で人間模様というエッセンスは試合の期待感を向上させる要素として重要だが、それは中身が伴っているという前提でなければ意味を成さない。感情移入するにも無理矢理に強引な背景を刷り込んでもファンはリングに夢を見たり、選手に自分を投影したりできない。そんな背景からDREAMのファンは格闘技に対し肝心のロマンという”夢”を見出せなくなってしまった気がする。あの会場の何とも言えない空気は一体、何が好きだったのか?を考えているようにも思えた。
これは小さい出来事だけど、とても大きな歪みである。
そんなDREAMよりも遥かに小さい会場で行われた修斗では逆に物凄い会場熱というか一体感を肌で感じられた。
総合格闘技界の先駆者として綿々と継承されてきた修斗という団体の結晶がそこにあった様に思う。殆どの出場選手がアマ修斗からの生え抜きの選手で基本技術レベルが軒並み高い。当然、試合の内容も濃くなり非常に見応えがある。試合が面白いから知名度の低い選手同士であっても盛り上がる。会場にはそんな選手たちを応援というより支援する定着したファンが集う。だから声援内容でさえ温かさを感じる。
例えるならメジャーリーグAAAのボールパーク。
競技がそのものが大好きで選手に対してもリスペクトの気持ちを忘れない。
それに対してDREAMはプロ野球のシーズン終盤の消化試合の球場のごとく。
試合の勝敗について拘りがなく、出場選手と個人タイトルにしか興味がない。
なぜ、こんな落差が出るのか?それはやはり、中身と根幹である。
どんな競技でも人気が欲しいからとヒーローを手っ取り早く探してきて用意できるものではない。
試合を重ねてファンに育てられるもの。
それには時間がかかる。
UFCが全米で人気を博しているのも現実の大会とリンクして取り入れた選手育成リアリティ番組「The Ultimate Fighter(TUF)」があったからこそ。直ぐにでもと先走る気持ちを抑え、着実に有望な選手を育てればファンは必ず支持してくれる。
メジャーと呼ばれるならば、いつの日か選手もファンも具体的な”夢”が持てるボールパークならぬ『MMAパーク』な大会を目指し、日本格闘技界を再び世界一に押し上げて欲しい。
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闘議(とうぎ)"The Way of SHOOTO 03" 観戦記 |
u-spirit 2010.06.10 |
The Way of SHOOTO 03 ~Like a Tiger,Like a Dragon~
5月30日(日)JCBホール
前日のDREAM.14 に続いて和田選手とHULKの父と3人で。今回、和田拓也選手にチケットを頂く。
アリーナ5列目のリング中央というベストポジション本当に有難うございます。
大会OP煽りは死亡遊戯のテーマ
GAME OF DEATH
そして出場全選手入場。
相変わらずルミナへの歓声は大きい。
5月30日(日)JCBホール
前日のDREAM.14 に続いて和田選手とHULKの父と3人で。今回、和田拓也選手にチケットを頂く。
アリーナ5列目のリング中央というベストポジション本当に有難うございます。
大会OP煽りは死亡遊戯のテーマ
GAME OF DEATH
そして出場全選手入場。
相変わらずルミナへの歓声は大きい。
<第1試合>
○石渡伸太郎×三木航●
1Rから濃いなぁ。総合な格闘技。その濃厚さに安堵さえ。
石渡も三木も試合ブランクがある筈なのにユルさが無くソリッドな展開。両者の応援団も凄い。結局、2-1で石渡。
昨日のDREAMとは違い、オープニングからフルスロットル。
○石渡伸太郎×三木航●
1Rから濃いなぁ。総合な格闘技。その濃厚さに安堵さえ。
石渡も三木も試合ブランクがある筈なのにユルさが無くソリッドな展開。両者の応援団も凄い。結局、2-1で石渡。
昨日のDREAMとは違い、オープニングからフルスロットル。
<第2試合>
○朴光哲×児山佳宏●
1Rは児山がテイクダウンを2回成功させ有利に試合をコントロールするも2Rは朴が打撃で優勢に。
結局、野武士、朴光哲が2-1の判定勝ち。
○朴光哲×児山佳宏●
1Rは児山がテイクダウンを2回成功させ有利に試合をコントロールするも2Rは朴が打撃で優勢に。
結局、野武士、朴光哲が2-1の判定勝ち。
<第3試合>
○エドゥアウド・ダンタス×扇久保博正●
ダンタスはドンタコス。反則のオンパレード。ずる賢いというか上手いというか、故意でないとアピールするも後頭部へのパンチ、3点ポジでの膝蹴り。結局、扇久保からチョークで1本勝ちするが、なんか、後味悪い。
○エドゥアウド・ダンタス×扇久保博正●
ダンタスはドンタコス。反則のオンパレード。ずる賢いというか上手いというか、故意でないとアピールするも後頭部へのパンチ、3点ポジでの膝蹴り。結局、扇久保からチョークで1本勝ちするが、なんか、後味悪い。
<第4試合>
○上田将勝×田村彰敏●
いや、エエ試合や。上田という男のいぶし銀な試合っぷりに感心さえ。何せ相手は田村ですから。
関係ないが以前から上田選手が我が格信犯のHero氏に似てると思っていた。その件、横にいたHULKの父に伝えると笑いながら同意。
いや、絶対に話し方とか動きとか全体的にメチャクチャ激似。
○上田将勝×田村彰敏●
いや、エエ試合や。上田という男のいぶし銀な試合っぷりに感心さえ。何せ相手は田村ですから。
関係ないが以前から上田選手が我が格信犯のHero氏に似てると思っていた。その件、横にいたHULKの父に伝えると笑いながら同意。
いや、絶対に話し方とか動きとか全体的にメチャクチャ激似。
<第5試合>
○佐藤ルミナ×松根良太●
プロシューターとなって最軽量に削ぎ落とされた肉体のせいからか佐藤ルミナは年齢経過を感じさせる。
試合は打撃合戦となり2R、ルミナ自身が狙っていたというカウンターの膝蹴りが見事に松根にヒット。
爆発する場内。
インタビューでは内容によっては引退の覚悟だったと。
あと何試合、こうやって月狼 佐藤ルミナの勇姿を生観戦できるのだろうか?
○佐藤ルミナ×松根良太●
プロシューターとなって最軽量に削ぎ落とされた肉体のせいからか佐藤ルミナは年齢経過を感じさせる。
試合は打撃合戦となり2R、ルミナ自身が狙っていたというカウンターの膝蹴りが見事に松根にヒット。
爆発する場内。
インタビューでは内容によっては引退の覚悟だったと。
あと何試合、こうやって月狼 佐藤ルミナの勇姿を生観戦できるのだろうか?
<第6試合>バンタム級世界王者決定戦
○漆谷康宏×神酒龍一●
BJの返上したベルトを賭けて世界ランク1位と2位の対決終始、試合巧者の漆谷がコントロール。判定は文句なしのフルマーク3-0 苦節19年、悲願のベルトを巻き漆谷は男泣き。
疲れて眠る大塚くん
○漆谷康宏×神酒龍一●
BJの返上したベルトを賭けて世界ランク1位と2位の対決終始、試合巧者の漆谷がコントロール。判定は文句なしのフルマーク3-0 苦節19年、悲願のベルトを巻き漆谷は男泣き。
疲れて眠る大塚くん
<第7試合>ウェルター級チャンピオンシップ
○ヴィラミー・シケリム×遠藤雄介●
遠藤は全く歯が立たない。何をやっても裏目となり挙句、急所への攻撃を受けてしまいペースまで失う。
遠藤のリベンジは届かないままシケリムは勝利後、UFCとの契約を発表し、その場でベルトを返上。
その姿まるで宇野薫。
○ヴィラミー・シケリム×遠藤雄介●
遠藤は全く歯が立たない。何をやっても裏目となり挙句、急所への攻撃を受けてしまいペースまで失う。
遠藤のリベンジは届かないままシケリムは勝利後、UFCとの契約を発表し、その場でベルトを返上。
その姿まるで宇野薫。
<第8試合>ライト級チャンピオンシップ 5分3R
●リオン武×日沖発○
煽りVTRでルミナが語った通り、間違いなくこの階級の世界一決定戦。リングサイドには前日に試合を終えた。
DREAMの高谷、大塚、大沢、宮田、や小見川の顔も見える。
”修斗の子”日沖発、王者であるリオン武、望まれた2人がリングで出会い日の丸を見つめ、凌ぎ合いを待つ。
1Rから積極的にリオンが出るが日沖はリーチ差を生かし左ジャブが走る。
2Rも日沖が的確にパンチを当て王者リオンは右が見えていないのか数初被弾し鼻血。しかし、それでも日沖のタックルだけは見切って対処。
3Rは、互いに拳で語り合っているかの様で。リオンが右を入れればグラつきながら日沖も右を返し、再びリオンが右を入れる。
そして、両者の拳に宿った魂が会場を”修斗”という色に染めていく。歓声ではない応援でもない。まさしく観客が共鳴して試合が終わる。
僕の胸にも熱いものが去来する。結果は日沖発が2-1の判定勝ち。
割れんばかりの拍手に包まれて敗者となったリオンが引き上げて行く姿と日沖のベルト姿、どちらも勇者。
●リオン武×日沖発○
煽りVTRでルミナが語った通り、間違いなくこの階級の世界一決定戦。リングサイドには前日に試合を終えた。
DREAMの高谷、大塚、大沢、宮田、や小見川の顔も見える。
”修斗の子”日沖発、王者であるリオン武、望まれた2人がリングで出会い日の丸を見つめ、凌ぎ合いを待つ。
1Rから積極的にリオンが出るが日沖はリーチ差を生かし左ジャブが走る。
2Rも日沖が的確にパンチを当て王者リオンは右が見えていないのか数初被弾し鼻血。しかし、それでも日沖のタックルだけは見切って対処。
3Rは、互いに拳で語り合っているかの様で。リオンが右を入れればグラつきながら日沖も右を返し、再びリオンが右を入れる。
そして、両者の拳に宿った魂が会場を”修斗”という色に染めていく。歓声ではない応援でもない。まさしく観客が共鳴して試合が終わる。
僕の胸にも熱いものが去来する。結果は日沖発が2-1の判定勝ち。
割れんばかりの拍手に包まれて敗者となったリオンが引き上げて行く姿と日沖のベルト姿、どちらも勇者。
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総合格闘技向上委員会ver.27.0 坂口征夫という生き方 |
marc_nas 2010.05.03 |
元新日本プロレス社長、世界の荒鷲 a.k.a. 坂口征二を父に持ち、俳優:坂口憲二を弟に持つ、総合格闘家:坂口征夫選手が、この日、静かに引退した。
■人間死に方は選べないが、生き方は自由だろ (銀魂)
"殺るか殺られるか"、そんな闘い方が格好いいのは誰でも知っている。けれど、王者への階段を登るには、確実に勝利を重ね、ランキングを上げなければならない。「プロとして魅せる」ということは簡単そうで難しい。
そんな中、坂口征夫はいつだって殺るか殺られるかの真正面からの殴り合いを毎回展開しようとした。
受け止めてくれなくて、展開出来ないいことだってあった。そんな時は試合後、いつもファンへの謝罪を口にした。
受け止めてくれたって、激しく散ることだってあった。けれど、そんな時の試合後は、顔を腫らしながらも気持ち良さそうだった。
ただ、この闘い方の寿命は短い。
引退を発表した記者会見で
「日常生活での物忘れも激しく、言い方は悪いのですがバカになってきているのも見え隠れしていました」
格闘家においてダメージの蓄積は死に直結する。引退後のボクサーがお茶の間でオバカだとモテはやされているが、その光景は、時に痛々しい。
そんなリスクは承知の上で、プロ格闘家になるのだろうが、やはり引退後の生活を考えると、今回は英断だし勇断だと思う。
じゃあそんな闘い方をするなよ、と思われるかも知れないが、一度リングに上がったら、選手達はそんなことは忘れるに違いないのだ。
■死ぬ覚悟はあるが、簡単に命を捨てる気はない (宮本武蔵)
彼は試合に臨むにあたり、殺し合いとう言葉をよく口にした。そこにはリターンがあるからこそ、常にリスクを背負っていた。
引退の決意を伝えた際、パンクラス側に引退試合を提案された。その相手とは生え抜きでベテランの伊藤崇文選手だったという。でもやはり、一度消えた炎を点火することは出来ず、引退セレモニーという形で、闘わずして幕を引くことした。
その理由について、
「辞めるのを前提でリングに上がって試合をするのは、殺し合いの駆け引きではありません」
最後まで試合=殺し合いというスタイルは変えることはなかった。
■明日、死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのようにして、学べ。(ガンジー)
引退セレモニーで彼が放った言葉。
「自分はこのリングで生まれ、そしてこのリングで死ねて本当に良かったと思いました」
偉大なる父と弟という光に挟まれ、やさぐれた時期もあったという。そして迷いに迷い、33歳という遅いデビューを果たし、36歳にして、短くも激しい格闘家人生を終えた。
リング上で最後に放った言葉。
「今日で自分の背中に背負った刀は鞘に納めます。ただ、錆び付かせないようにずっと研ぎ続けます。いつかパンクラスが困ったときに、その刀をもう一度抜けるように頑張っていきたいと思います」
最後まで、義を重んじる彼らしい言葉。本当に記録ではなく記憶に残る希有の格闘家。僕は坂口征夫という格闘家がいたことを一生忘れない。
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闘議(とうぎ)必衰 -吉田秀彦引退興行:ASTRA- |
u-spirit 2010.04.27 |
■願はくは 花の下にて 春死なむ(西行法師)
兎角、日本人は古来より死に際や散り際に「美学」を求める。必衰の理というか、諸行無常というか、その美徳は現代人のDNAにも刻まれており、去り際や引き際といった辞意を決断すべき時に個人も周囲も「美学」を求めてしまう。
そして、それは”プロ”とつく競技者なら尚更。特に武道家、格闘技選手の多くは去り際に拘る。本当は人の終焉に正しい形など在ろう筈もないし、まして周囲が求めるものでもない。更に言えば、武道家なれば最後に花道など不要。武道の道の最後は”最期”であって然るべきだと。
吉田秀彦という総合格闘家がいた事は多くのファンは忘れないだろう。けど、個人的には総合格闘技での彼の功績を素直に称える気分にはなれない。
五輪柔道金メダリストの看板を引っ提げて総合のリングに乗り込んできて、尚、彼は柔道家であり続けた。
彼が柔道家であると言い続けた拘り、誇り、魂まで否定するつもりはないが、その後も次々に柔道界からの「飛び級」を招聘し続け、実力が不明瞭で準備不足の後輩たちを優遇しリングに上げる一端を担っていたのは確かだと思う。
なのに、引退後は柔道界に恩返ししたいと言う。まるで巨人から移籍し別の球団で現役引退を迎えたのに”元巨人”ぶる選手の様だ。
そりゃないよ・・・。
温かく第二の活躍の場を提供してくれた人たちがいるだろ。一番に総合格闘技界への恩返しを考慮すべきではないのか?
そう、思ってしまう。だから、最期の仕合も一番弟子相手に御座なりな試合となったんだ。113kgという体重で最期を迎えるに相応しい練習をしていたとは到底、思えない。こんな感じ、いつの頃だろう。吉田秀彦の試合に「覚悟」が見えなくなったのは。
吉田秀彦はとっくに引退したかったのかもしれない。
けれど、周囲や後身たちの為に泣く泣く現役を続行していた様な気がしてならない。それは、道場主や親分としては正解であろう。けれど、プロとして、武道家としてはどうなんだろう。そんな親分肌、兄貴肌が道場門下生たちの危機感や自立心を阻害し、いつまでも吉田秀彦の傘から抜けられぬ”井の蛙集団”になってしまったのではなかろうか。
ただ、僕が吉田秀彦を唯一、認めていたのは、人前で泣かなかったこと。どんな状況であっても、人前ではどの種の涙もけして見せなかった。引退式典でご両親が来られたとき彼は初めて僅かな涙を見せた。それでも、言いたい言葉はありがとうではない。
僕は吉田秀彦の生き様と死に様を見届けたかった。彼は群れる事でいつしか牙が削がれた気がしてならない。引退試合の相手であった中村をはじめ彼には多くの後輩と仲間がいる。それは、格闘家 吉田秀彦のためになっていたのか疑問である。
PRIDE GP 2003の準決勝のヴァンダレイ・シウバ戦、あの日、僕は一筋の光明を見た。「吉田秀彦なら勝てるのかも」正直にそう思えた。ただ、後の吉田秀彦の仕合では二度と同じ光を見つけることはできなかった。
同じこの4月にひっそりと引退した坂口征夫の生き様には胸が熱くなる程、彼の貫いた潔さを感じ取れ共感できた。
■武の道は孤の道、敵は我の中にあり、故に我、自ら完結す
武道家、格闘家とは孤独であるべきなのかもしれない。
吉田秀彦の引退式典に出席し握手を交わした田村潔司、その姿に田村潔司自身も最期のかたちを既に考えているんだと悟る。追いかけていた光が消える瞬間、何を思い、何を考えどんな感情になるのだろう。去りし日々が長かった事に今更ながら気付いた。
兎角、日本人は古来より死に際や散り際に「美学」を求める。必衰の理というか、諸行無常というか、その美徳は現代人のDNAにも刻まれており、去り際や引き際といった辞意を決断すべき時に個人も周囲も「美学」を求めてしまう。
そして、それは”プロ”とつく競技者なら尚更。特に武道家、格闘技選手の多くは去り際に拘る。本当は人の終焉に正しい形など在ろう筈もないし、まして周囲が求めるものでもない。更に言えば、武道家なれば最後に花道など不要。武道の道の最後は”最期”であって然るべきだと。
吉田秀彦という総合格闘家がいた事は多くのファンは忘れないだろう。けど、個人的には総合格闘技での彼の功績を素直に称える気分にはなれない。
五輪柔道金メダリストの看板を引っ提げて総合のリングに乗り込んできて、尚、彼は柔道家であり続けた。
彼が柔道家であると言い続けた拘り、誇り、魂まで否定するつもりはないが、その後も次々に柔道界からの「飛び級」を招聘し続け、実力が不明瞭で準備不足の後輩たちを優遇しリングに上げる一端を担っていたのは確かだと思う。
なのに、引退後は柔道界に恩返ししたいと言う。まるで巨人から移籍し別の球団で現役引退を迎えたのに”元巨人”ぶる選手の様だ。
そりゃないよ・・・。
温かく第二の活躍の場を提供してくれた人たちがいるだろ。一番に総合格闘技界への恩返しを考慮すべきではないのか?
そう、思ってしまう。だから、最期の仕合も一番弟子相手に御座なりな試合となったんだ。113kgという体重で最期を迎えるに相応しい練習をしていたとは到底、思えない。こんな感じ、いつの頃だろう。吉田秀彦の試合に「覚悟」が見えなくなったのは。
吉田秀彦はとっくに引退したかったのかもしれない。
けれど、周囲や後身たちの為に泣く泣く現役を続行していた様な気がしてならない。それは、道場主や親分としては正解であろう。けれど、プロとして、武道家としてはどうなんだろう。そんな親分肌、兄貴肌が道場門下生たちの危機感や自立心を阻害し、いつまでも吉田秀彦の傘から抜けられぬ”井の蛙集団”になってしまったのではなかろうか。
ただ、僕が吉田秀彦を唯一、認めていたのは、人前で泣かなかったこと。どんな状況であっても、人前ではどの種の涙もけして見せなかった。引退式典でご両親が来られたとき彼は初めて僅かな涙を見せた。それでも、言いたい言葉はありがとうではない。
僕は吉田秀彦の生き様と死に様を見届けたかった。彼は群れる事でいつしか牙が削がれた気がしてならない。引退試合の相手であった中村をはじめ彼には多くの後輩と仲間がいる。それは、格闘家 吉田秀彦のためになっていたのか疑問である。
PRIDE GP 2003の準決勝のヴァンダレイ・シウバ戦、あの日、僕は一筋の光明を見た。「吉田秀彦なら勝てるのかも」正直にそう思えた。ただ、後の吉田秀彦の仕合では二度と同じ光を見つけることはできなかった。
同じこの4月にひっそりと引退した坂口征夫の生き様には胸が熱くなる程、彼の貫いた潔さを感じ取れ共感できた。
■武の道は孤の道、敵は我の中にあり、故に我、自ら完結す
武道家、格闘家とは孤独であるべきなのかもしれない。
吉田秀彦の引退式典に出席し握手を交わした田村潔司、その姿に田村潔司自身も最期のかたちを既に考えているんだと悟る。追いかけていた光が消える瞬間、何を思い、何を考えどんな感情になるのだろう。去りし日々が長かった事に今更ながら気付いた。
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闘議(とうぎ)其処にある底 -DREAM.11- |
u-spirit 2009.10.18 |
多くの競技には確立された形式と明確なルールがある。だからこそ曖昧なモノは競技と誰も見なさない。DREAM.11を見て内に残るザラついた感覚。寂しさ、妬ましさ、悔しさ。
一体、格闘技に僕は何を求めてきたのか?
単純明快に抱いた素朴な疑問「誰が一番強いのか?」それを証明するために発生したのがジャンルを越えた総合的な格闘技、MMAだったはずなのに、今大会に対して以前の様な明確な否定をできない。何故だろう。
今大会を敢えて例えるならば、昭和のテレビ特番で見ていた「スター大運動会」。
主役である売れっ子アイドル、人数合わせの無名タレント、全ての引き立て役の芸人。三者がそれぞれのポジションを理解した上で「競技」という名の「イベント」に全力で取り組む。アイドルは可愛く、格好良く、爽やかに、無名タレントは出張ることなく目立たぬ様に、芸人は盛り上げるために枠を超え脱線してみせる。皆、明日の自分のために、それぞれのカタチの全力を投じる。
総合格闘技大会が大運動会のようになってしまった背景には、格闘技を取り巻く厳しい現実がある。人々の感心が薄れていく中、競技としての確立よりコンテンツの生き残りを賭け、お茶の間への分かり易さを優先した「謙り演出」は仕方のない妥協かもしれないと顕著に出た数値に思わざる得ない。あれだけ飽きたと言われた亀田大毅の試合が20%超える視聴率なのに対し、DREAM.11はミノワマンの試合が最高でも12%止まり。これが現実なのだ。
しかも苦渋の選択の渦中で必死にもがく選手たちの試合が明日に繋がる保障など何処にもない。それでも目の前の試合を全力で闘った選手たち。だから、興行としては認めるべきだろうけど、会場でLIVE観戦できなかった後悔には至らない。それはたまたま見た連ドラの続き見逃した時と同じ感覚。放送していれば見るが、たとえ次回を見逃しても気にならない。よもや自分が格闘技の大会を見て、こんな感覚に陥るとは・・・。
DREAM.11というスター大運動会でアイドル扱いだったのが桜庭、川尻。無名タレント扱いだったのがソクジュ、バラクーダ。芸人扱いだったのがミノワマン、ボブ・サップ。その他は一応、選手として扱われていた。今、ピンで活動する清純派アイドルが絶滅した様に、過剰に色付けすると真実味はますます薄れて気付かれる。格闘家や競技者はシンプルに「強さ」が基準だったからリアルファイトと呼ばれた。それ以外の物差しにより、カテゴライズした時点でイメージファイトとなってしまう。
それでも生き残らねば明日はない。自分が長年愛した格闘技に失望だけはしたくない。百年に一度の不景気と言われる俗世間と同様に、今は残存することが最優先だと信じるしかない。リアリティーが色褪せ底尽く前にMMAが再び、正道を歩みだせる日の到来を切望する。
