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総合格闘技向上委員会ver.1.0 総合格闘技の歴史(前編) |
marc_nas 2004.02.22 |
どうも活字格闘王ことmarc_nasです。ボクの連載のコンセプトは格闘技ファンの拡大であり、ファンのみなさんの格闘技に対する目を養ってもらう。それが格闘技そのものの向上に繋がると考えています。今回と次回で総合格闘技の歴史を初心者の方にもわかりやすくカンタンに振り返ります。これを読んで格闘技の奥深さを知ってもらえば、PRIDEなどを観る時により面白く観れると思います。
紀元前、古代ギリシャの哲学者プラトンがギリシア兵達が闘うパンクラチオンという格闘技を見て「不完全なレスリングと不完全なボクシングの合体である」と言った。
93年にUFCで始まった総合格闘技。ある者はレスリング、ある者はボクシングと己の信じる格闘技体型こそ最強であると互いにしのぎを削りあった。そんな中、優勝したのはレスラーでもなくボクサーでもなかった。グレイシー柔術なる格闘技を習得するホイス・グレイシーであった。
極めというのは、関節技やチョークスリーパで一本(タップ)を取ることである。すなわち、極めが強いというのは、一本取る能力に長けているという事である。
当時のホイスはグラウンドでの極めが強かった。というより、皆が回避・防御方法に対してあまりに無知だったのである。グレイシー柔術はボクシングやレスリングのようにオーバグラウンドではなく、アンダーグラウンド格闘技だった。グレイシー一族が独自に考え出した柔術であるため、親族以外に教えを請う事もなければ、親族以外に教授する事もなかったのだから、他の格闘家達が初遭遇の動きに戸惑い、対処できなかったのは当然だった。
最初は皆そのグレイシー柔術を打ち負かすべく、己の心酔する格闘技を研磨した。しかしホイスはその後、幾度も優勝を重ね、無敗のまま95年UFCのリングから遠ざかっていった。そこから他の格闘家達はプライドをかなぐり捨て、柔術を研究し、そして自らの格闘技体型に取り込んでさえいくのであった。
つづく。。。
2003年の格信犯的流行語大賞「お前は男だ!」。ご存知、高田統括本部長の名言です。この名言のもとに毎回男をジャッジしようというのがこの連載の趣旨です。勿論、人によって"男"の定義は異なるかとは思いますが、格信犯の統括本部長である私MJが考える"男像"に最もふさわしい人を選びたいと思います。したがって試合に勝った選手や目だった選手が必ずしも選ばれるとは限りませんし、毎回該当者がいるとも限りません。今回は第一回目ということで昨年大晦日の格闘技戦争からの選考です。
一時は消滅の危機まで囁かれた猪木祭りですが、なんとか興行を行うことができたのはこのお方だからでしょう。まぁ今回ばかりは少し度が過ぎる一面もあったような気がします・・・。でもみなさんよく考えて下さい、猪木さんの行く道にはスキャンダル・不祥事はあたりまえのこと!それを見事なまでに逆利用して注目を集めるのが常套手段!興行的には大成功とは言えなかったかもしれませんが、決して格闘技界にとってマイナスなことばかりではなかったでしょう。数々の非常識発言やヒョードル引き抜き問題、さらにはカウントダウンでの大暴動も含め全てが猪木劇場、結局は許されてしまうんですよねぇ。
第一回はこれだけのマナー違反を推し進め、非常識を常識的に行うことが出来る人物はこの人しかいないということで
「猪木さんやはりあんたは男だ!!」
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プロレスバカより愛を込めてプロレスってなんだ? |
28ん 2004.02.22 |
元気ですかー!プロレスって何でしょう?わかりません。とにかくこのコーナーで「プロレスってなんだろう?」という事を皆さんに発信していきたいなと思っています。私はあんまり知識ないですけど(謙遜含む)、おもしろおかしく記事かけます。これがプロレスラー的ライターです。意味わかりますか?これ大事な定義なんで、おさえておいてください。
今年はプロレスラーに総合のリングで活躍してもらいたいなと心より思っています。まずそこいらへんで一般の方にレスラー自身もアピールしていただかないと、私の理論が遠吠えとなってしまいますので、共にがんばりましょー!!あと、プロレスラーを名のってはいるけど,プロレスラーではない方もいます。類似品にはお気をつけ下さい。山本宣久さんあなたですよ。他にもいますけど。。。
高田延彦さん。あなたは統括本部長というよりも営業本部長ですね。泣き虫よみましたが、PRIDEをよりリアルファイトだと意識付けし、集客を伸ばそうとしているようにしか感じませんでした。リングで負けつづけたあなたの方が、リングを降りてから、勝者になろうとするあなたよりも100倍かっこよかった事を、プロレスラー高田延彦が好きだった私から告げておきましょう。
02.01 PRIDE.27@大阪の観戦記をお伝えします。おもしろかったです。ドスカラスJr.、あそこまで顔見えてるのにマスクかぶってるのが最高でした。プロレス万歳です。以上です。
テンポよく続いてまいりましたが、そろそろ最後の話題にうつりたいと思います。PRIDE無差別級GPと共にもう1つIWGPトーナメントも注目していきましょう。これ必須事項です。
とにかく、時には明るく楽しく、時にはシビアにプロレス的発想で記事を書いていきますのでよろしくお願いします。今回の記事は,初回なんでこんなもんで。一口目から旨いもんは胸焼けしますんでね、薄口に仕上げております。毎回青コーナーから望む所存でございます。それじゃ、3、2、1、どすこい!!!
2月某日、かねてからのBSE(牛海綿状脳症)による影響で、とうとう街から牛丼が姿を消した。『牛丼がない!!』と暴れだして逮捕される輩も出現したらしいが、プロレス界でも暴れている『牛』がいた!!そう、新日本プロレスの猛牛こと天山広吉だ。
世間が牛丼消滅に揺れる2月15日、横浜でPRIDE武士道、沖縄でK-1JAPAN、そして両国ではチャンピオン中邑真輔のベルト返上によって空位になったIWGPヘビー級王座の決定トーナメントが行われる新日本プロレスという、一日遅れのバレンタイン興行戦争が繰り広げられていた。
さて、このトーナメントには天山もエントリーされていたのだが、ほんの2か月前までは天山がチャンピオンだったわけだ。そう、新日本の若き天才、中邑真輔に奪取されるまでは。その試合を私は大阪府立体育館で観戦していたのだが、序盤から試合のペースは一方的に天山のものだった。だが、7度目の挑戦でやっと手に入れたベルトを、一瞬の間接技による大逆転で易々と手放してしまったのだ。伝統のIWGP選手権試合であれほどあっけない幕切れは初めてだったかもしれない。総合格闘技の試合であれば、さほど驚くこともなかっただろう。しかし、新日本プロレスのマット上であのような事故的な幕切れは、心にモヤモヤしたものが残ったというのが率直な感想だったのだ。年末のK-1に中邑をIWGPチャンピオンの『プロレスラー』として出場させようとした新日本の策略かと疑いもしたぐらいだ。こうして中邑は年末年始の壮絶な戦いを経てスターへの階段を上って行ったわけだ。さて一瞬のうちに王座から転落した天山はどうだったのだろうか。
その後の天山の試合の中でひとつ印象に残ったものがあった。2月1日に行われたIWGPタッグ選手権試合で、鈴木みのる/高山善廣組と対戦した天山は、試合中に鈴木からマウントポジションを奪うとパンチやチョップではなく、顔面へ頭突きをぶち込んだのだ。これはPRIDEなどのいわゆる総合格闘技では反則である。パンクラスで総合格闘技を経験してきた鈴木からしてみれば、あの場面で頭突きがくるなどとは考えもしなかったのではないかろうか。ここに総合格闘技に対して『プロレスラー』の強さや厳しさにこだわる天山を見た気がしたのだ。
数日後に行われたIWGP王座決定トーナメントでも、私の大方の予想どおりにその厳しさを見せた天山が第35代チャンピオンに返り咲いたのだった。これは新日本プロレスの計算や目論みではないと信じたいところだ。今後も天山には『プロレスラー』としてさらなる厳しさを見せていってほしいものだ。近い将来に中邑との真の王者を決める戦いが待っている。その戦いから新日本プロレスの求める『プロレスラー』像が見えてくるのではないだろうか
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FIGHT FOR YOUR RIGHT20世紀最強のキックボクサーの21世紀 |
yojirock 2004.02.22 |
ピーター・アーツはK-1選手の中で一番好きな選手です。
しかし、現状は人気、強さ、共に低迷気味。僕はもちろんそれを否定するが、多くの人はそれを肯定している。彼の現在のK-1での戦績である「97戦/ 75勝/ 21敗/ 1分/ 56KO(2004年2月現在)」とゆう結果こそが、「最強の暴君」と呼ばれる由縁ではなかろうか。
彼を弱い選手扱いしている人はきっと、ここ数年のスランプ時代の彼しか知らないからではないだろうか?K-1デビュー当初からアーツをみてきた人であれば、アーツの実力は知っているはずである。
彼が日本でデビューしたのはまだK-1が生まれる前の92年のリングス有明大会。対戦相手はカラテ・ワールドカップ '91の準優勝者であり、現在は正道会館のオーストラリア支部道場を開設し後進の指導にあたるアダム・ワットであった。当時無名だったアーツにとっては、圧倒的不利な相手であり、誰もがアダムの勝利を確信している中で、アーツは見事なKO勝利をおさめたのだ。そして、93年のワールドGP2ヶ月前に行われたオランダ大会でも、当時ヘビー級最強の名を欲しいままにしていたモーリス・スミスを4ラウンド目にして放たれた左ハイによって失神KOしたのである。当時は無敵を誇るアダム、そしてモーリスを相手にして劇的勝利をおさめたことによって、彼は一躍注目をあびるようになった。そんな中で行われた93年ワールドGPではさっそく優勝候補者筆頭に挙げられていたが、当時まだ無名だったアーネスト・ホーストに1回戦でまさかの敗退。この敗北はアーツ自身のみならず、ファンにも大きなショックを与えたが、逆にその敗北がアーツの闘志に火をつけることになった。それからのアーツは著しく成長し、94年、95年とワールドGPを2年連続制覇という偉業を成し遂げ、対戦相手は皆、彼のハイキックを恐れていた。まさに、今で言うならミルコ・クロコップの様な存在だったのである。
しかし、96年に突然の内臓疾患によって、そこから彼の勢いはとまってしまった。同年のワールドGPではベルナルドに敗退。翌97年には体調不良にも関わらず準決勝まで進むものの、アンディ・フグに敗れた。現在、囁かれているように「アーツの時代は終わった」と、この時すでに囁かれ始めていた。
しかし、アーツは這い上がってきたのである。98年のワールドGP準決勝では、親友であり最大のライバルであったマイク・ベルナルドを1RKOし、決勝では再びアンディとの再戦。アンディは初優勝の96年以降、3大会連続で決勝進出を果たし、念願のGP2連覇を目前にしていたため、アーツの伝家の宝刀であるハイキックを始終警戒しており、慎重な試合運びをしていたものの、アーツのスピードとテクニックはそれを凌駕し、アンディはマットに倒れた。なんと、アンディがハイキックを警戒していたのを逆に利用しての、右ハイフェイントによる左ハイで決めたのである。これが怒濤の大復活劇をみせたアーツによる、ワールドGP3連覇達成の瞬間だった。
この試合こそが個人的にK-1史上最も印象に残っている試合です。
しかし、もうこれは過去の栄光なのでしょうか?現在の彼の様子を見ると「昔は強かった」と言われても仕方がありません。でも、彼は一度這い上がってきています。だから、僕はまた再び這い上がってきてくれることを信じて、ずっとファンでいるつもりです。今年は総合格闘技にも挑戦しますが、正直、総合でどこまでやれるのかは不明です。しかし彼なら持ち前の格闘センスでなんとかやってくれるはずではないでしょうか?
ピーター・アーツは21世紀も最強を目指します!!
