Weekly Column

Hero's Eye

祭りのあと ~PRIDE 男祭り2005 頂~

Hero
2006.01.24
 小川直也 vs 吉田秀彦の世紀の一戦。2005年のPRIDEを締めくくる試合が終わってから、もう数週間が経過した。今回の試合前には、いったい何を感じて、どんなことを思うんだろうかとコラムを書くにあたってワクワクしていたのだ。
 私事だが2005年はプライベートも仕事もいろいろな変化があり、めまぐるしく過ぎ去っていった1年であった。そんな中でも格闘技を見ることは欠かさなかったのだが、コラムを書くためにキーボードをたたくことは1回もなかったのだ。そんな私でもこの一戦の決定を耳にした時は、「これは書かなければ」と純粋に思えてしまうほどの衝撃だった。ただ、それは世間一般的なこの試合のキーワードである「世紀のケンカマッチ」や「修復不能な確執」から感じるものではなかった。むしろそういったキーワードに多少の違和感を覚えたのも事実だったのだ。この二人の対決の意味を考えると「?」だったのである。
「柔よく剛を制す」
 嘉納治五郎氏の言葉だが、現代の柔道ではこの言葉を具現化した試合を見る機会はほとんどない。無差別級で行われる全日本柔道選手権は、「柔よく剛を制す」を目にする可能性がある数少ない大会ではあるが、やはりこの大会を制するのは100キロ超級クラスで活躍する選手なのは言うまでも無い。ただ、94年の全日本柔道選手権では「柔よく剛を制す」が実現された。ご存知のとおり、吉田が小川を判定で下したわけだが、バルセロナで金メダルを獲得し、すでにヒーローとなっていた吉田に対して、確実といわれた金メダルを逃し、悪びれる様子もなく日本中のヒールとなっていた小川。試合は終始攻めの姿勢を崩さなかった吉田が判定勝ち。特に決め手があったわけではなかったが、吉田が勝ったことでさらにヒーロー、ヒールの立場がはっきりしてしまったのである。ただ、当時のルールでは旗判定があり、いわゆるマストジャッジシステムだったのだ。現在のルールであれば延長になっているはずで、そうなれば体格差で勝る小川がおそらく勝利を収めていただろう。
 それまで大会5連覇を成し遂げていた小川にとって、この負けは悪夢であっただろう。その後、小川はプロレスの道へ。吉田は明治大学柔道部の監督となったのだが、その二人がPRIDEのリングの上で交わることになるとは、だれが想像しただろうか。ありえないカードだと思ったし、とくに見てみたいと思ったこともなかった。それは、マスコミがあおりたてる確執のためではない。もう完全に別の道を歩んでいると思っていたからだ。おかげで試合決定の一報を聞いたとき、私の頭の中は完全にクエスチョンマークだらけとなったのである。
 執拗にマスコミは両者間の修復不能といわれる確執を取り上げていたのだが、彼らが交わりあっていたのは10年近くも昔の話だ。人間とは、時が経てば大抵のことは忘れる。忘れるまではいかないにしろ、熱は冷める。そういうものだ。小川はプロレスラーとして、吉田は総合格闘家として確固たる地位を築いている。そういうことから元柔道王対決というよりも、純粋にプロレスラー小川 vs 総合格闘家吉田という視点でしか試合をみることが出来なかった。小川はプロレス復興のために、吉田は憎しみよりもただ純粋に勝利を欲する気持ちが、試合に対するモチベーションを築いていたのではないかと思うのだ。
 さて肝心の試合だが、あっけなく終わった。吉田は柔道では存在しない足関節で小川の足をへし折り、勝利を納めた。そのとき、吉田は柔道衣を脱いでいた。後輩である滝本の試合を見て、柔道衣を脱ぐことを決意したらしいが、もう吉田は勝利のためであれば道衣をためらいなく脱ぐことができるのだ。彼は総合格闘家なのだ。
 もはや総合格闘技はプロレスと二足のわらじで勝てるものではない。総合の準備を常にしている吉田に対して、プロレスでエンターテイメントを追求し続けている小川では、いくら直前に準備をしようとも勝てるものではない。それは、ヒョードルにあっけなく敗れ去ったときに証明されていたことだ。
小川は試合直後、すぐにマイクを握った。
「吉田ぁ、これからがんばれよ」
本心だと思う。確執などすでに水に流れていたんだと私の思いはこのとき確信に変わった。少し安心した気持ちにすらなった。マイクパフォーマンスが若干長すぎたのは、小川の空気を読めない不器用さがよく出ていて苦笑ものだったが、それも愛嬌。年の瀬だ、水に流そう。
こうして、2005年のPRIDEは幕を閉じた。
 ただ、困ったことがある。試合が終わって数日たっても、私の書きたい言葉が見つからないのだ。今までであれば、試合の内容について感じることがあるはずなのに、なかなか言葉が出てこない。どれだけ考えても出てこない。これまでコラム執筆をサボり続けてきたので、もともとなかった文才がさらにサビ付いたのだろうかとも思ったのだが、あの試合からなにかを感じることができなかったのだから、言葉が見つからないのは仕方ないのだ。数週間が経過してだんだん思ってきたことは、あの試合はDSEにいっぱい食わされたのではないか?ということだ。試合の本質よりも、試合のバックグラウンドを作り上げて世間の興味を惹きつけるという興行主としての常套手段を、実績も人気もある選手を使うことで意味のあるものに仕立て上げられたということでは?と。
 あの試合がおもしろかったと思った人はそれでいいと思うし、おもしろくなかったと思う人は、「DSEにいっぱい食わされた」と思うことにすれば、いろいろ考える必要はないのだ。ずっとキツネにつままれたような感覚は、このせいだったのだ。私のこの試合の総括は、そんな感じである。
 2006年はもっと「感じる」試合を見たいし、そんな選手に期待したい。そして、純粋に感じたことを文章にできればと思う。
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