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ノーコンテスト裁定の末に ~071231_やれんのか!~ - 闘議(とうぎ) - 格信犯ウェブ

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闘議(とうぎ)

ノーコンテスト裁定の末に ~071231_やれんのか!~

u-spirit
2008.02.05
原題:やりすぎんだよ!

誰が悪い訳でもない。

今日、都心に降り積もった雪の様に、みんなの心に刻まれた”あの日”を白く塗りつぶしてしまおう。

導き出された解答はノーコンテスト。あの日の熱狂は、無かった事にしよう。強烈なインパクトと共にあの場に居た観客の記憶には残っているが、記録には残こさない。そんな、”やれんのか!”が下した裁定を受け、撃沈したあの日以来、公に姿を見せなかった秋山成勲が記者会見を開いた。正直、内容を聞いて驚いた。

「もう一度、同条件で三崎和雄と闘いたい」と言ってのけた。あの、孤立無援な完全アウェーのリングに、もう一度、立ちたいと言わせる程、彼を掻き立てるモノは何だ?でも、残念ながら”あの状況”は二度と再現できない。何故なら、”あの時”居合わせたファンの中で、勝敗や裁定以上に三崎が言った”秋山の魂”に心打たれた者が、再戦の際には秋山に必ず声援を送るから、完全なアウェーとは絶対にならない。あの日の秋山はファンの胸に深く刻みこまれた。それは間違いない。

正直に言うと再戦には反対だ。今回下った裁定に不満は無いが、個人的に”即再戦”や”即リベンジ”そのものが余り好きではないから。一定期間を開けた後、数年後に対峙するなら賛同もするが、”勝って欲しかった選手”が勝利するまで、何度も同一相手とカードを組んであげる傾向は、生身の人間が削り合わねばならない競技として、好ましくない気がする。
プレイヤーが勝つまで、電源オン・オフを繰り返しリトライするコンピューターゲームかの様に、いとも簡単に”やり直し”を誘発し、何度も同じ相手同士を奪い合わせる発想は、あまりに安直だし危険だ。書面上、ノーコンテストとして消えてしまった今回の対戦においても、その思いは同じ。

”魔王”というより”羅王”となりつつある秋山成勲を今、闘わせるなら、ショーグン、シウバ、ヘンダーソンが最も相応しいが、いくら大連立でも、UFC所属選手となった彼らをブッキングするのは不可能。
ならば、実現可能な残された選択肢、それは、吉田秀彦しかない。と個人的に思う。谷川氏の言うとおりならば、優先的な契りのあった三崎和雄を事情を知らなかったとは言え、結果としてスッ飛ばしてブッキングした”戦極”サイドにも若干の非がある訳で、働きかければ、秋山×吉田は簡単に実現すると思うのだが。やはり、”戦極”は大連立には参加せず、自分たちの大きな木の下から出ず、ドンキホーテを気取り、我が道を行くか…。
原題:負けんのか!抑圧に…

先日、上げたコラムに意外な程、苦情が殺到した。その苦情内容とは、「秋山を擁護し過ぎ!」と。別に擁護したつもりは無いが…。ノーコンテストという裁定に不服が無いと述べた僕の意見が、皆さん、お気に召さなかったようだ。

言葉足らずで申し訳なかったが、僕個人の中では、既にあの日、リングで観たままが答えであり、後から外野が”物言い”をつけて、それらしい理由を紙切れ一枚で発表しようが、朽ちた者が記者会見を開こうが、あの日、あの場に最後に立っていた者こそが”勝者”であり、その事実は覆らない。これが結論であるからあえて、異は唱えなかった次第であります。

そもそも、僕も格闘技好きな”ド素人”でしかなく、競技上の機微やルール認識まで掘り下げて追求はできない。”決闘”としての側面と”競技”としての側面が存在する"格闘技"において、勝敗を客観的に裁定するなら実際に競技者に聞かないと本当のところは分からない。
そこでこの週末、名前は伏せるが現役の総合格闘家2名に会い、競技者としての見解と意見を聞いてきた。先ず、2名が口を揃えて「本来の実力は、秋山選手が上だったと思います」と答えた。ただ、あの特異な空気に満ちた会場であり、当然、”平常心”を削がれ、あの日のリングでは両者、普段どおりとは言い難い状態でした。”別のチカラ”が、上手く作用した者と反作用した者に明暗がクッキリ出ました」とも付け足した。その前置きがあって、話題は”問題の4点ポジション”へと。

「問題の蹴りは、完全に流れの中での攻撃であり、かつ、あの体制を4点ポジションと呼んだ事も認識も僕らには今まで無い」と断言。更に、「あの名勝負がノーコンテストでは、あまりに三崎選手が可哀相だ」と。
続けて「そもそも、三崎選手の放った1発目のフックで、秋山選手は相当効いていたと見受けられた。それは、その後のアクションで明確に分かる。追い討ちを警戒したというより、自尊心の強い秋山選手の性格が災いし、初めてパンチを貰ってダウンした事に焦り、"やばい、格好悪い"と即、”体裁を取り繕う”為に、まだ、ダメージが抜け切らず、思うように体が動かぬ間に、起き上がろうとした事が”重大なミス”であり、結果的にフィニッシュの蹴りを喰らうハメになったんでしょう。あんなパンチをもらったら、直ぐには体が動きません。柔道家だから、落ち着いてグランドへ移行するなり、相手を引き込み密着して呼吸を整えるとか、普段の秋山選手なら出来たでしょう。それが、試合のアヤという怖さです。実力以上を発揮できる部分と、練習した事が全く出せない部分があり、それが試合後、自分の修正や反省の糧となり、次に向け練習するのです」と言った。

ご尤(もっと)も!!納得した。

「当事者として自分が犯した”試合中のミス”は、自分で分かっている筈。なのに、後で”蹴りは反則だ!"と抗議するのは、同じ競技に関わる選手の立場から言うと、非常に格好悪いとの印象を持ったが、秋山選手本人が率先してというより、周囲に絆された抗議と解釈している。結果さえもひっくり返すチカラを持っている秋山陣営と今後、多くの団体や選手は、試合をしたがらないでしょうね」とも言っていた2人。

彼らはバイトしながら、試合の宛が無くても、一生懸命、毎日、練習している。そんな、直向な若者と権力を振りかざすズルい大人と、それに屈した情けない大人どちらが正しき者なのか?僕はまだ、正常に判断できる。だから、それでいい。
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