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FIGHT FOR YOUR RIGHTK-1 WORLD GP 2004 開幕戦 |
yojirock 2004.09.10 |
2004年9月25日。12回目のK-1 WORLD GPが行われようとしています。K-1は今大会をきっかけに生れ変わろうと、いや、ゼロからやり直そうとしています。
「純K-1への原点回帰」
今年7月、谷川プロデューサーはこの言葉を口にしました。
本来、K-1が目指していたものは、アスリートとしてのハイレベルな攻防を提示し、「完全実力主義」という言葉のもと集った選手の中から最強を決めるものでした。しかし、近年、選手の実力を度外視した話題性を集めるための選手の参戦が目立ってしまいました。PRIDEなどの多興行との争いが激化する中、話題性を集めざるを得ないのは、致し方ないとしても、やはりK-1は立ち技最強を決める舞台であって、名前だけの実力のない選手がたやすく上がれるようなリングではないはずです。K-1は故アンディ・フグが人生をかけて築き上げた聖地なのです
本来、K-1が目指していたものは、アスリートとしてのハイレベルな攻防を提示し、「完全実力主義」という言葉のもと集った選手の中から最強を決めるものでした。しかし、近年、選手の実力を度外視した話題性を集めるための選手の参戦が目立ってしまいました。PRIDEなどの多興行との争いが激化する中、話題性を集めざるを得ないのは、致し方ないとしても、やはりK-1は立ち技最強を決める舞台であって、名前だけの実力のない選手がたやすく上がれるようなリングではないはずです。K-1は故アンディ・フグが人生をかけて築き上げた聖地なのです
そして、昨今、K-1に目立ったのが選手の反則、そしてレフェリーのミスジャッジでした。アスリートが人生を賭けて立つ聖域である以上、主催者側は厳格かつ迅速に、そして公平なジャッジをしなければなりません。それを改めるために、反則にはファイトマネー減額、ミスジャッジに減俸処分などの厳しい罰金制度を導入しました。
以上のことより、今年のK-1は原点回帰を目指すのだという強い意気込みが感じ取れます。だからこそ今回、95年の開幕戦の舞台となった日本武道館を選んだのでしょう。この年より、開幕戦〜決勝戦の2大会トーナメント制が実施され、K-1は大きく飛躍しました。この時、GP制覇を狙うアンディ・フグが新鋭のマイク・ベルナルドの豪腕によってマットに沈みました。そして、K-1初登場のジェロム・レ・バンナは破竹の勢いで決勝戦まで順調に勝ち進んだものの、準優勝に終わりました。この時は相手が悪かったとしか言えないですね。あの、黄金期のピーター・アーツだったのですから。
今、こうして当時を懐古しながら文章を書いていると、あの時の興奮が蘇ってきました。本当に熱く、ハラハラするような試合ばかりでした。同時に最近のK-1ではこのような気持ちになれなかったこともまた痛感しました。
今年のK-1には期待しています。「完全実力主義」のコンセプトにふさわしい役者が揃ったと思います。世界各地で行われた厳しいトーナメントを勝ち抜いた者、昨年GPでの好成績者、それに加え、主催者推薦として元PRIDEの番人グッドリッジと極真のフェイトーザ。そして、なにより完全復活を成し遂げたバトルサイボーグ、ジェロム・レ・バンナ!!7月に行われた韓国大会での復帰戦は素晴らしかった!彼はK-1ファンが望んでいる戦い方を体現してくれるので大好きです。ということで、今年はバンナを優勝候補にあげることにします。
---K-1 WORLD GP 2004 開幕戦 in 日本武道館 対戦カード---
マイティ・モー(K-1 WORLD GP 2004 in Las Vegas 優勝)
ゲーリー・グッドリッジ(主催者推薦)
ゲーリー・グッドリッジ(主催者推薦)
アレクセイ・イグナショフ(K-1 WORLD GP 2003 ベスト8)
ガオグライ・ゲーンノラシン(K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 優勝)
ガオグライ・ゲーンノラシン(K-1 WORLD GP 2004 in SEOUL 優勝)
天田ヒロミ(K-1 WORLD GP 2004 JAPAN GP王者)
レイ・セフォー(K-1 WORLD GP 2003 ベスト8)
レイ・セフォー(K-1 WORLD GP 2003 ベスト8)
ジェロム・レ・バンナ(K-1 WORLD GP 2002 準優勝)
フランソワ“ザ・ホワイトバッファロー”ボタ(K-1 WORLD GP 2003 ベスト8)
フランソワ“ザ・ホワイトバッファロー”ボタ(K-1 WORLD GP 2003 ベスト8)
武蔵(K-1 WORLD GP 2003 準優勝)
シリル・アビディ(K-1 WORLD GP 2003 3位)
シリル・アビディ(K-1 WORLD GP 2003 3位)
ピーター・アーツ(K-1 WORLD GP 2003 94、95、98 王者)
マイケル・マクドナルド(K-1 WORLD GP 2004 in Las Vegas 優勝)
マイケル・マクドナルド(K-1 WORLD GP 2004 in Las Vegas 優勝)
アーネスト・ホースト(K-1 WORLD GP 97、99、00、02 王者)
グラウベ・フェイトーザ(主催者推薦)
グラウベ・フェイトーザ(主催者推薦)
<スーパーファイト>
レミー・ボンヤスキー(K-1 WORLD GP 2003 王者)
曙
レミー・ボンヤスキー(K-1 WORLD GP 2003 王者)
曙
もう今さらの話題ですが、編集長marc_nasも記事にしていましたので、やはり僕も4.25 PRIDE GP 2004開幕戦について少し書いてみたいと思います。
やはり衝撃的だったのはミルコ×ランデルマン戦ですね。オフィシャルサイトでのこの一戦の勝利予想投票は、ミルコが勝利すると予想した者が93%に比べ、ランデルマンはわずか7%でした。僕も含め、格信犯スタッフ全員がミルコの勝利を予想していましたが・・。確かにランデルマンは危険人物として挙げられていました。3強と呼ばれる、ヒョードル、ノゲイラ、ミルコの対戦相手の中で、ミルコには最も過酷な試練を与えるためにランデルマンを抜擢したそうです。が、それでも僕はランデルマンのタックルを巧みに交わしてのカウンター左ハイキックで決着が着くと予想していました。格闘技の試合はそんなに単純なものではありませんよね・・・。安易な考えに反省しました。
この試合は、どちらが強いとか、そういう次元ではありませんでした。おそらく、もっと早い時期にこの両者が対戦していれば、ミルコが勝っていたと思いますが、僕が上記で述べている様にミルコの今までの試合はどれもある意味ワンパターンでした。そろそろあの戦い方は総合では通用しなくなってきています。ミルコの首を狙う者が多い中、皆、研究し、作戦をねっています。その研究の成果をうまく出せたのが、ランデルマンでした。ノゲイラ戦を見てもわかるとおり、ミルコはグラウンドで下になった状態ではほぼなにもできません。ヒーリング戦においても、グラウンドの攻防には付き合わず、何度も起き上がらせていたのは、やはりミルコはスタンド状態でしか勝負できないからです。しかし、それも今回ランデルマンがやっていたように、右ガードを固めていれば、ミルコの左ハイによる致命的なダメージは防ぐことができます。本当に見事でしたね。僕はかなりミルコが好きですが、今回ばかりはランデルマンを賞賛したいと思います。
格闘技の世界は残酷なまでに世代交代のサイクルが早く、ミルコの時代は早くも危ぶまれています。今までのイメージは一切すてて、一からやり直すつもりで這い上がってきてほしいです。
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FIGHT FOR YOUR RIGHT電撃男が男の中の男へ |
yojirock 2004.04.23 |
K-1の電撃伊達男、ステファン・”ブリッツ”・レコが4.25.PRIDEヘビー級GP出場決定!対戦相手はGP初出場となる世界の暴走王、小川直也だ。
なぜ、こういうことが起ってしまったのか?レコは昨年のK-1 WORLD GPで決勝トーナメントまで勝ち進んでいたにもかかわらず、契約で折り合いがつかずGP欠場となってしまった為に年末の猪木祭に参戦。K-1関係者はレコに対して昨年のGP排除処分を詫び、新たに契約を結ぶように申し出たが、これを拒否し、さらにライバルであるPRIDEと2年契約を結んでしまったのである。これは、レコにとってのK-1に対する怒りの現れなのか。そして、PRIDE転向の初戦として、今回のGP開幕戦を選んだのである。
レコは97年のK-1 BRAVESからK-1に参戦し、他の選手に比べれば特に飛び抜けた才はないものの、バランスのとれたファイトスタイルであのルックスでいつしかK-1の中心人物にまで飛躍した。その中心人物であった彼が一気に要注意人物に生まれ変わった瞬間があった。2001年8月にラスベガスで行われたGP予選トーナメントの決勝戦、相手はピーター・アーツ。アーツの勝利を確信する者が多い中、レコは2Rで右フック、右アッパーでダウンを奪い、3Rではついに右ストレートでアーツを失神KOしトーナメントを優勝したのである。この時の衝撃は余りにも大きく、今でもなおレコの紹介VTRに使用されている。
レコの近年の急成長ぶりを見れば、これからのK-1を背負う重要人物になることは間違いなかっただけに、PRIDE転向はK-1ファンからすれば残念な結果です。ミルコに続き、レコも手放してしまったK-1が少し心配ですが、K-1は選手層が厚い上に次世代を担う選手が活躍していますので、大丈夫かもしれませんね。それに総合のリングで暴れるレコを見てみたいです。ミルコの様に常にスタンドで戦おうとするスタイルではなく、グラウンドテクニックも磨いて欲しいです。寝ても立っても強い、ヒース・ヒーリングの様な選手になってくれれば、PRIDEファンにとっても人気の選手になるかもしれません。実際、ヒーリングと同じゴールデン・グローリー所属なので、不可能ではないでしょう。ミルコと比較してみると、パンチはレコの方が得意ですが、キックに関してはレコは柔軟性に少し欠けているので、ミルコほどではありません。とは言うものの、昨年の猪木祭では右ハイキック一撃で村上和成をKOしているので、破壊力は測り知れません。
しかし、小川直也を甘くみてはいけません。すでにレコは挑発していますが・・。いくらレコと言えど、易々と勝てる相手ではありません。K-1ルールなら問題ありませんが、総合ではどうでしょうか?小川はタフな上にオリンピック銀メダリストです。ヘビー級暫定王者のアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラも小川戦を視野に入れていますし、この試合、どちらが勝つのか予想できないです。非常に楽しみにしています。僕はレコを応援していますが、勝ち負けにはこだわっていません。楽しい試合を見せてください。
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FIGHT FOR YOUR RIGHTRED SCORPION-ALEXEY IGNASHOV |
yojirock 2004.03.26 |
3/14、K-1初の新潟を舞台にしての「K-1 BEAST 2004」が開催されました。地方開催にしては、玄人向けのなかなか見どころのあるカードではなかったでしょうか。タイソン一家の25人の兄弟中最も凶暴(?)といわれてるクリフ”ツインタイソン”コーザ、ケージ・コンバットのライトヘビー級米国王者でありスタントマンでもあるマーブリック、そして猪木軍からはセコンドに藤田和之を随えてLYOTOが参戦。そして、トリをかざる注目カードは、ボブ・サップ VS朝青龍の兄であるドルゴルスレン・スミヤバザル(長い…)ですか。まぁ、いろいろ楽しそうな試合がありましたが、今回はアレクセイ・イグナショフVSスティーブ・ウィリアムスの試合についてコメントさせていただきます。と言うより、イグナショフ自身についてですけど。
本来ならこの試合はピーター・アーツが戦うはずだったんですよね。前回の記事で書かせていただきましたが、僕が一番好きなK-1選手アーツが、どのような総合格闘技戦を見せてくれるのかとても楽しみだったんですが、練習中にクビをケガしたみたいで全治2ヶ月ですか・・・。すごく残念だったんですが、代理出場のイグナショフ選手、本当に素晴らしかったです。僕はプロレスの知識は全くないのですが、スティーブ・ウィリアムスという選手は相当の実力者らしいですね。しかし、イグナショフは彼になにもさせず、わずか22秒で試合を終わらせてしまいました。イグナショフは確かにとても強いです。現在の彼の戦績は「73戦/66勝/7敗/37KO」。これだけ見ても、彼の強さが十分にわかるでしょう。しかし、彼がK-1で活躍しているのは大抵、ワンマッチやGP予選トーナメントであり、GPの本大会ではまだまだ活躍できていないのが現状です。
しかし、大晦日に行われたK-1 DYNAMITE!!での中邑真輔戦、そして今回のウィリアムス戦、どちらもヒザ蹴りでKO勝利(中邑選手との試合は無効試合なりましたが)をおさめています。これは…、あのミルコ・クロコップと全く同じ現象ではないでしょうか?ミルコもイグナショフ同様、実力は十分あるのに、GP本大会ではあまり良い成績が残せていませんでしたが、総合格闘技に参戦してからというもの、一瞬にしてトップの座に輝いてしまいました。この両選手の共通点と言えば、得意技のキック。やはり、K-1選手のスタンドテクニックは総合選手のそれを大きく凌駕するのでしょうか。ですから、このようにK-1出身の選手がこれからどんどん総合にも参戦していくべきではないでしょうか。そうすることによって、お互いに刺激しあって、格闘技全体のレベルがあがるような気がします。昨年のミルコVSノゲイラの様な試合がたくさん見たいもんですね。
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FIGHT FOR YOUR RIGHT20世紀最強のキックボクサーの21世紀 |
yojirock 2004.02.22 |
ピーター・アーツはK-1選手の中で一番好きな選手です。
しかし、現状は人気、強さ、共に低迷気味。僕はもちろんそれを否定するが、多くの人はそれを肯定している。彼の現在のK-1での戦績である「97戦/ 75勝/ 21敗/ 1分/ 56KO(2004年2月現在)」とゆう結果こそが、「最強の暴君」と呼ばれる由縁ではなかろうか。
彼を弱い選手扱いしている人はきっと、ここ数年のスランプ時代の彼しか知らないからではないだろうか?K-1デビュー当初からアーツをみてきた人であれば、アーツの実力は知っているはずである。
彼が日本でデビューしたのはまだK-1が生まれる前の92年のリングス有明大会。対戦相手はカラテ・ワールドカップ '91の準優勝者であり、現在は正道会館のオーストラリア支部道場を開設し後進の指導にあたるアダム・ワットであった。当時無名だったアーツにとっては、圧倒的不利な相手であり、誰もがアダムの勝利を確信している中で、アーツは見事なKO勝利をおさめたのだ。そして、93年のワールドGP2ヶ月前に行われたオランダ大会でも、当時ヘビー級最強の名を欲しいままにしていたモーリス・スミスを4ラウンド目にして放たれた左ハイによって失神KOしたのである。当時は無敵を誇るアダム、そしてモーリスを相手にして劇的勝利をおさめたことによって、彼は一躍注目をあびるようになった。そんな中で行われた93年ワールドGPではさっそく優勝候補者筆頭に挙げられていたが、当時まだ無名だったアーネスト・ホーストに1回戦でまさかの敗退。この敗北はアーツ自身のみならず、ファンにも大きなショックを与えたが、逆にその敗北がアーツの闘志に火をつけることになった。それからのアーツは著しく成長し、94年、95年とワールドGPを2年連続制覇という偉業を成し遂げ、対戦相手は皆、彼のハイキックを恐れていた。まさに、今で言うならミルコ・クロコップの様な存在だったのである。
しかし、96年に突然の内臓疾患によって、そこから彼の勢いはとまってしまった。同年のワールドGPではベルナルドに敗退。翌97年には体調不良にも関わらず準決勝まで進むものの、アンディ・フグに敗れた。現在、囁かれているように「アーツの時代は終わった」と、この時すでに囁かれ始めていた。
しかし、アーツは這い上がってきたのである。98年のワールドGP準決勝では、親友であり最大のライバルであったマイク・ベルナルドを1RKOし、決勝では再びアンディとの再戦。アンディは初優勝の96年以降、3大会連続で決勝進出を果たし、念願のGP2連覇を目前にしていたため、アーツの伝家の宝刀であるハイキックを始終警戒しており、慎重な試合運びをしていたものの、アーツのスピードとテクニックはそれを凌駕し、アンディはマットに倒れた。なんと、アンディがハイキックを警戒していたのを逆に利用しての、右ハイフェイントによる左ハイで決めたのである。これが怒濤の大復活劇をみせたアーツによる、ワールドGP3連覇達成の瞬間だった。
この試合こそが個人的にK-1史上最も印象に残っている試合です。
しかし、もうこれは過去の栄光なのでしょうか?現在の彼の様子を見ると「昔は強かった」と言われても仕方がありません。でも、彼は一度這い上がってきています。だから、僕はまた再び這い上がってきてくれることを信じて、ずっとファンでいるつもりです。今年は総合格闘技にも挑戦しますが、正直、総合でどこまでやれるのかは不明です。しかし彼なら持ち前の格闘センスでなんとかやってくれるはずではないでしょうか?
ピーター・アーツは21世紀も最強を目指します!!
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