<第1試合>
○ヨアキム・ハンセン VS ジェイソン・アイルランド●
序盤は、アイルランドがローから攻込む場面も見られたが、トータルバランスに優れるヨアキムが試合を終始支配する。粘りのディフェンスを見せたアイルランドであったが、最後はスタミナ切れでサブミッションを許してしまった。ヨアキムは強引なパウンドが久しく見られていないのが気になる。
<第2試合>
●三崎和雄 VS フランク・トリッグ○
フランクのグランドコントロールが優れており、テイクダウンを許すと三崎はなす術がなかった。ウェイト差がありすぎるような気もしたが、レベルの高いグランドテクニックやあくまでもテイクダウンにこだわったフランクの作戦勝ちか。
<第3試合>
●トラビス・ビュー VS ジェームス・リー○
交通事故的なフトントネック。もう少しトラビスの動きを見てみたかったが。
<第4試合>
●アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ VS ソクジュ○
この試合、どう見ればいいのか。第3試合と同様、まさに出会い頭の交通事故という気もしないでもないが、ホジェリオをKOで倒すというのは...。計り知れないポテンシャルを持っているのかも知れない。どうであれ、次の試合が真の評価を決めるところか。対するホジェリオは今年中のミドル級タイトル挑戦というプランを見直す必要に迫られた。
<第5試合>
○桜井“マッハ”速人 VS マック・ダンジグ●
一発一発の重みが伝わってくる戦いであったが、どうにも実力差がありすぎた。マッハは途中から余裕を感じ出したのか、カウンター狙いがミエミエに。それを決めてしまうのはさすがだが、相手が弱すぎた。
<第6試合>
○セルゲイ・ハリトーノフ VS マイク・ルソー●
ハリトーノフは5ヶ月ぶりのPRIDEリング。以前のような殺気が感じられない。試合はしたからの十字でハリトーノフの勝利となったが、直後にルソーはレフェリーにクレーム。ただ、誰の目から見てもタップしており、あれはまずい。観客からは結果に対してブーイングが出ていたが、ファンの目を成長させるためにも、あのような態度は感心しない。
<第7試合>
○マウリシオ・ショーグン VS アリスター・オーフレイム●
明らかにコンディションに問題を抱えているであろうショーグンであったが、一発のパウンドで決めてしまった。ショーグンのコンディション不良という最大のチャンスを活かせなかったアリスターと、一発の小さなチャンスをものにしたショーグンの差か。ただ、この差は小さいようで非常に大きい。
<第8試合>
●五味隆典 VS ニック・ディアス○
自分のスタイルを貫けなかった五味。アメリカというステージで自分をアピールするという気持ちに完全に正気を奪われたか。打合いでKO。それが可能な相手と踏んでいたのであろうが、リーチの長さまでは計れていなかったようだ。いつもならもらわない距離でパンチをもらってしまう。蓄積されたダメージは軌道修正へのプロセスすら奪い去った。アメリカ人にとっては最高の試合だってであろう。いちばん頭を抱えたのはDSEか。
<第9試合>
●ヴァンダレイ・シウバ VS ダン・ヘンダーソン○
とうとうヴァンダレイのミドル級絶対君主制が崩壊した。ウェルター級の選手にパンチでKOされるという、信じがたい光景がアメリカで繰り広げられたのだ。ホームでの試合ということで万全の体制で臨むことができたとは言え、ダンのアスリートとしてのポテンシャルにはまさに脱帽である。さて、DSEは今後ヴァンダレイの扱いをどうしていくのか。DSEはこのPRIDE最大の功労者に対して、最高の舞台を整えるべきだ。彼がこのまま落ちていくのは見たくない。
<追記>
榊原社長によるとヴァンダレイはなんと前日まで40度の発熱があったそうです。コンディション不良でタイトルを逃すというのも実力のうちのような気もしますが、もう一度チャンスを与えるべきなのかも知れないですね。
大会総括
今回のラスベガス大会。二人のチャンピオンがアメリカ人に敗れるという、ある意味アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための大会となった。この結果をDSEはどう捕らえていくのか。アメリカ人の心を前回大会よりもつかんだことは間違いない。しかし、PRIDEの母国は日本であり、一番貢献している日本以外の国はブラジルなのだ。アメリカのマーケットという大きな獲物をつかむ取る可能性は非常に高くなったが、それと引き換えにもっと大事なものを失うことのないようにしてもらいたい。
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Hero's EyePRIDE.33 “THE SECOND COMING”大会寸評 |
Hero 2007.02.28 |
今回も高田統括本部長のヘンテコJapanese Englishで幕を開けた、PRIDEラスベガス大会。前回大会に比べて、非常に中身の濃いものとなった。各試合の寸評は以下に。
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Hero's Eye二つの勝負に勝った男 ~K-1 WORLD GP@大阪~ |
Hero 2006.10.12 |
昨年の大阪ドームから、今年は大阪城ホールへとスケールダウンした形となったK-1ワールドGP開幕戦。キャパシティから考えると満員となってしかるべき会場ではあるのだが、試合開始時間が迫っても8割程度の入り。今回、会場入りしてすぐに感じたことがある。メジャーイベントの会場に必ず満ち溢れているものが何か足りない。しばらく考えて分かったのは、観客から試合前の緊張や期待が感じられないこと。オープニングの選手紹介が始まっても、観客のボルテージがなかなか上がらない。出場選手が一人ずつ入場してきても歓声、拍手はまばら。観客の熱は必ず選手に伝わるものである。会場の低いテンションがさらに試合内容を低下させるのか、それとも、すばらしい試合を繰り広げ、落ち込んだ会場のテンションを上昇させるのか。出場選手にとっては対戦相手だけではなく、観客までもが攻略すべき強力なライバルとなった。
しかし、そこはさすがにK-1である。第一試合から徐々に高まった観客のボルテージは、メインカードで最高潮になる。それを演出したのは残念ながら2名の日本人ファイターではなく、韓国人とフランス人の両ファイターであった。
ジェロム・レ・バンナはなんと試合当日の来日。コンディションに疑問符がつく状況であったにもかかわらず、冷静な闘いを展開した。試合開始序盤はローキックから攻め手を見出し、スキを見て懐へ飛び込んでのボディーブロー。しかし、このボディーがまったく利かない。試合後のインタビューで彼はこう明かした。
「ローを多用したのは、それしか打つ手がなかったからさ。彼は岩のような男だ。体のすべてが固かった。自分の足のダメージも大きいよ。2年もすれば彼をKOできるやつはいなくなるだろう」
ローキックは作戦ではなく、そうせざるを得なかったわけだ。ただそんな中でも冷静に手数を増やし、前に出る気持ちを絶やさなかったことが大巨人を追い詰めていくことになった。
チェ・ホンマンは、パンチ対策にポイントをおいていたことを試合後のインタビューで明かした。飛び込んできた相手にヒザを打ち込むというのがこの試合のプランだったようだが、パンチを打ってこない相手に対して戦略をアジャストすることができなかったのが敗因だろう。ローを打って距離をとってくる相手に対して、自らの体格を生かしていかに圧力をかけていくか。そこに頭を切り替えることができていれば、アジア勢全滅という結果にはならなかったのかもしれない。しかし、あれだけのローをもらいながら立ち続けたチェ・ホンマンの強さは恐るべきものだ。強豪と対戦を重ね、さらなる経験を積んでいけば、ジェロムの言う通り彼を倒せる者は誰もいなくなるかもしれない。何よりも彼の最大の武器は若さなのだ。彼には時間がある。
大会のMVPは、文句なしでジェロム・レ・バンナ。韓国の大巨人だけでなく、温度の低い観客との勝負にも勝ってみせた。会場を一番熱狂させた、彼の前に出る気持ちの強さに敬意を表したい。
さて、この大会の二日後には決勝ラウンドの抽選が行われた。ジェロムは大会翌日にはフランスへ帰国(試合当日入国で、翌日出国!)の途に着いていたが、国際電話から彼が指名した相手はなんと昨年度のGP覇者であるセーム・シュルト。開幕戦でも磐石の強さを見せつけていたオランダの大巨人を相手にすることになったが、一番強い相手を倒したいというのが彼の意向だという。12月の決勝ラウンド、ホーストの引退や、今回躍進したゴールデングローリー勢、はたまたリザーバーは誰になるのか(武蔵、ホンマン、セフォー、バタハリなどが候補)などなど、注目ポイントはいくつもあるが、ジェロムの男気に注目してみるのもいいかもしれない。
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Hero's Eye |
Hero 2006.05.17 |
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Hero's Eye祭りのあと ~PRIDE 男祭り2005 頂~ |
Hero 2006.01.24 |
小川直也 vs 吉田秀彦の世紀の一戦。2005年のPRIDEを締めくくる試合が終わってから、もう数週間が経過した。今回の試合前には、いったい何を感じて、どんなことを思うんだろうかとコラムを書くにあたってワクワクしていたのだ。
私事だが2005年はプライベートも仕事もいろいろな変化があり、めまぐるしく過ぎ去っていった1年であった。そんな中でも格闘技を見ることは欠かさなかったのだが、コラムを書くためにキーボードをたたくことは1回もなかったのだ。そんな私でもこの一戦の決定を耳にした時は、「これは書かなければ」と純粋に思えてしまうほどの衝撃だった。ただ、それは世間一般的なこの試合のキーワードである「世紀のケンカマッチ」や「修復不能な確執」から感じるものではなかった。むしろそういったキーワードに多少の違和感を覚えたのも事実だったのだ。この二人の対決の意味を考えると「?」だったのである。
「柔よく剛を制す」
嘉納治五郎氏の言葉だが、現代の柔道ではこの言葉を具現化した試合を見る機会はほとんどない。無差別級で行われる全日本柔道選手権は、「柔よく剛を制す」を目にする可能性がある数少ない大会ではあるが、やはりこの大会を制するのは100キロ超級クラスで活躍する選手なのは言うまでも無い。ただ、94年の全日本柔道選手権では「柔よく剛を制す」が実現された。ご存知のとおり、吉田が小川を判定で下したわけだが、バルセロナで金メダルを獲得し、すでにヒーローとなっていた吉田に対して、確実といわれた金メダルを逃し、悪びれる様子もなく日本中のヒールとなっていた小川。試合は終始攻めの姿勢を崩さなかった吉田が判定勝ち。特に決め手があったわけではなかったが、吉田が勝ったことでさらにヒーロー、ヒールの立場がはっきりしてしまったのである。ただ、当時のルールでは旗判定があり、いわゆるマストジャッジシステムだったのだ。現在のルールであれば延長になっているはずで、そうなれば体格差で勝る小川がおそらく勝利を収めていただろう。
嘉納治五郎氏の言葉だが、現代の柔道ではこの言葉を具現化した試合を見る機会はほとんどない。無差別級で行われる全日本柔道選手権は、「柔よく剛を制す」を目にする可能性がある数少ない大会ではあるが、やはりこの大会を制するのは100キロ超級クラスで活躍する選手なのは言うまでも無い。ただ、94年の全日本柔道選手権では「柔よく剛を制す」が実現された。ご存知のとおり、吉田が小川を判定で下したわけだが、バルセロナで金メダルを獲得し、すでにヒーローとなっていた吉田に対して、確実といわれた金メダルを逃し、悪びれる様子もなく日本中のヒールとなっていた小川。試合は終始攻めの姿勢を崩さなかった吉田が判定勝ち。特に決め手があったわけではなかったが、吉田が勝ったことでさらにヒーロー、ヒールの立場がはっきりしてしまったのである。ただ、当時のルールでは旗判定があり、いわゆるマストジャッジシステムだったのだ。現在のルールであれば延長になっているはずで、そうなれば体格差で勝る小川がおそらく勝利を収めていただろう。
それまで大会5連覇を成し遂げていた小川にとって、この負けは悪夢であっただろう。その後、小川はプロレスの道へ。吉田は明治大学柔道部の監督となったのだが、その二人がPRIDEのリングの上で交わることになるとは、だれが想像しただろうか。ありえないカードだと思ったし、とくに見てみたいと思ったこともなかった。それは、マスコミがあおりたてる確執のためではない。もう完全に別の道を歩んでいると思っていたからだ。おかげで試合決定の一報を聞いたとき、私の頭の中は完全にクエスチョンマークだらけとなったのである。
執拗にマスコミは両者間の修復不能といわれる確執を取り上げていたのだが、彼らが交わりあっていたのは10年近くも昔の話だ。人間とは、時が経てば大抵のことは忘れる。忘れるまではいかないにしろ、熱は冷める。そういうものだ。小川はプロレスラーとして、吉田は総合格闘家として確固たる地位を築いている。そういうことから元柔道王対決というよりも、純粋にプロレスラー小川 vs 総合格闘家吉田という視点でしか試合をみることが出来なかった。小川はプロレス復興のために、吉田は憎しみよりもただ純粋に勝利を欲する気持ちが、試合に対するモチベーションを築いていたのではないかと思うのだ。
さて肝心の試合だが、あっけなく終わった。吉田は柔道では存在しない足関節で小川の足をへし折り、勝利を納めた。そのとき、吉田は柔道衣を脱いでいた。後輩である滝本の試合を見て、柔道衣を脱ぐことを決意したらしいが、もう吉田は勝利のためであれば道衣をためらいなく脱ぐことができるのだ。彼は総合格闘家なのだ。
もはや総合格闘技はプロレスと二足のわらじで勝てるものではない。総合の準備を常にしている吉田に対して、プロレスでエンターテイメントを追求し続けている小川では、いくら直前に準備をしようとも勝てるものではない。それは、ヒョードルにあっけなく敗れ去ったときに証明されていたことだ。
小川は試合直後、すぐにマイクを握った。
「吉田ぁ、これからがんばれよ」
本心だと思う。確執などすでに水に流れていたんだと私の思いはこのとき確信に変わった。少し安心した気持ちにすらなった。マイクパフォーマンスが若干長すぎたのは、小川の空気を読めない不器用さがよく出ていて苦笑ものだったが、それも愛嬌。年の瀬だ、水に流そう。
「吉田ぁ、これからがんばれよ」
本心だと思う。確執などすでに水に流れていたんだと私の思いはこのとき確信に変わった。少し安心した気持ちにすらなった。マイクパフォーマンスが若干長すぎたのは、小川の空気を読めない不器用さがよく出ていて苦笑ものだったが、それも愛嬌。年の瀬だ、水に流そう。
こうして、2005年のPRIDEは幕を閉じた。
ただ、困ったことがある。試合が終わって数日たっても、私の書きたい言葉が見つからないのだ。今までであれば、試合の内容について感じることがあるはずなのに、なかなか言葉が出てこない。どれだけ考えても出てこない。これまでコラム執筆をサボり続けてきたので、もともとなかった文才がさらにサビ付いたのだろうかとも思ったのだが、あの試合からなにかを感じることができなかったのだから、言葉が見つからないのは仕方ないのだ。数週間が経過してだんだん思ってきたことは、あの試合はDSEにいっぱい食わされたのではないか?ということだ。試合の本質よりも、試合のバックグラウンドを作り上げて世間の興味を惹きつけるという興行主としての常套手段を、実績も人気もある選手を使うことで意味のあるものに仕立て上げられたということでは?と。
あの試合がおもしろかったと思った人はそれでいいと思うし、おもしろくなかったと思う人は、「DSEにいっぱい食わされた」と思うことにすれば、いろいろ考える必要はないのだ。ずっとキツネにつままれたような感覚は、このせいだったのだ。私のこの試合の総括は、そんな感じである。
2006年はもっと「感じる」試合を見たいし、そんな選手に期待したい。そして、純粋に感じたことを文章にできればと思う。
試合の結果はコチラ
10月14日、今夏の猛暑はどこへいったのかと思うほどすっかり秋の気配の大阪で、PRIDE武士道其の伍が開催された。
お盆休みを取り損ねていた事が幸いし、2ヶ月遅れの夏期休暇申請に成功した私も会場である大阪城ホールへ向かったのだが、今回ばかりは客入りを心配せずにはいられなかった。これまで四回行われた武士道は、判定にもつれ込む試合の多さや、本来のコンセプトである日本人選手の活躍が薄かったと言わざるを得ない。また今回、武士道としては初の平日開催という客足を遠のけるネガティブ要素を十分はらんでいたのである。ただ、今回のカードを見てみると、五味、マッハの武士道常連組はもちろんだが、足関十段の今成のPRIDE初参戦や、長南亮 vs カーロス・ニュートンなど魅力的なカードが揃っていた。
さて、開始1時間ほど前に入場したのだが、案の定空席が目立った。30分前になっても、オープニング直前になっても、空席がどうしても目立つ。私はDSEの社員ではないが、こういう状況を大阪の会場で見る事が非常に残念でならない。これが、東京での開催であったらどうだっただろうか。。。と考えてしまうのである。今回の武士道パンフレットにDSE榊原社長の言葉のなかに『目の肥えた大阪のファンの皆様に〜』というものがあったが、これは完全にリップサービスだろう。ただでさえ首都圏と比べると総合格闘技を生で観戦する機会は圧倒的に少ない。試合が始まってからも、会場の盛り上がりはいまひとつと言わざるを得ない状況であった。今回特に思ったのが、私たちのようなある程度ディープなファンは試合内容がよければそれで満足できるのかもしれない。しかし初めてPRIDEを観戦しにきたビギナーファンも多かったと思うが、彼らはその興行が成功か否かを左右する重要なポイント、『会場の熱』を感じることができたのだろうか。
ただそんなネガティブ要素の中でも選手たちは、私たちの期待に応えてくれた。戦闘竜の総合格闘技初勝利や、長南亮の大逆転勝利。今回初めてメインを努めた五味隆典は『お客さんをスカッとした気持ちで帰す』と試合前に話していたが、その言葉通りの一本勝ちを収めた。
だからこそ満員の観客の中で彼らには試合をさせたかったし、彼ら選手にも大阪の観客の熱さを感じてほしかった。結果的には、ミルコやヴァンダレイなしの地方平日開催という実験的興行は、時期尚早だったのかもしれない。こんな状況を少しでも打破するために、これからも色々な視点から格闘技界を見つめ、たくさんの人にその素晴らしさを伝え、格闘技ファンの裾野を広げていく事が私たちの目指すべきところなのだ。そんなことを思った秋の一日であった。