<大会総括>
5月、6月に連続開催との告知よりも、今回、露骨に見えた彼らの本音。「業界主導権は我が手に!共存など不要!」やっぱり、連盟名乗れども、他団体とコミットする気は毛頭無い様だ。そんな彼らから競技に対する”愛情”は感じられない。正直、期待薄だ。豊富な資金源をバックにネームバリューのある選手や実力者を揃えても、何かが足りない気がする。ビジネスとしても、エンターテーメントとしても、中途半端な感じは否めないし、”モノマネ”では本流に成れない。それでも亜流か我流か分からないが、独自にファンの支持を得るには、この先、大会を地道に重ねて行けば道も開くだろう。だが、赤字だからとすぐに止めてしまえば、格闘技ファンから、総スカンを喰らうのは目に見えている。そんな今の”戦極”は、何処となく、かつてプロレス界に一石を投じた集団”SWS”に空気が似ている。
『いつまで、夢を・・・』とDREAMに敵対心を剥き出しにしていたが、逆に聞かれるだろう。”総合対策が不十分な柔道家に、いつまで夢を?”開催さえすれば、簡単に儲かるとでも夢見ていたの?”汗を流さず金で作ったリングに、何が生まれるのだろう。ファンとして”魅力”を感じれないのは、皮肉にも彼ら自身が否定した”夢”が戦極のリングには見えて来ないからだ。戦極運営陣に今、一番必要なものは、総合格闘技に対するアイデンティティーだと思う。
闘議(とうぎ)銭誤苦(SENGOKU) -080305_戦極- |
u-spirit 2008.03.17 |
銭勘定を誤り、苦しい船出となった戦極。
後に開催されるDREAMに擬え『いつまで、夢を・・・』と言ってる割には、オマージュの域を越えた酷似演出が一方的に”過剰意識感”を匂わせ、ガックリ。当日の客入りも”満員”と誇張するも、正味は招待券をバラ蒔いて席埋め、実券販売は半分程度だったと聞く。僕も当日、方々から招待券による観戦の誘いを受けた。でも、代々木に気は向いたが、体が向かなかった。同じ気持ちの友人宅にてケータリング・プチ・パーティー形式で5人でPV観戦。
後に開催されるDREAMに擬え『いつまで、夢を・・・』と言ってる割には、オマージュの域を越えた酷似演出が一方的に”過剰意識感”を匂わせ、ガックリ。当日の客入りも”満員”と誇張するも、正味は招待券をバラ蒔いて席埋め、実券販売は半分程度だったと聞く。僕も当日、方々から招待券による観戦の誘いを受けた。でも、代々木に気は向いたが、体が向かなかった。同じ気持ちの友人宅にてケータリング・プチ・パーティー形式で5人でPV観戦。
<第1試合>
●ファブリシオ・モンテイロ×ニック・トンプソン○
”ジョークみたいな団体”と揶揄されたBodogのウェルター王者であるトンプソンとDEEPで國奥、中尾、阿部兄を撃破した実力者ファブモンテが、互いの持ち味を出し切り、激闘を繰り広げる。本日のベストバウトも日本では馴染みの薄い2人に会場は全く盛り上がらず。僕はファブモンテが有利と見ていたが、結果は凌いだだけに見えたニック。戦極ルールもダメージ重視なのか。
<第2試合>
○川村亮×アントニオ・ブラガ・ネト●
出ました!グレイシーバッハっぽい試合。敢えてタックル、どこまでもタックル、最後までタックル。でも何故か?今回は、”グレイシーフュージョン”と登録されていた。なんだろう?川村亮は、もっとキレのある試合を展開する選手なのに、グレイシー”コック”に塩味にされてしまった。残念。
<第3試合>
●瀧本誠×エヴァンゲリスタ・サイボーグ○
柔道に打撃を足した人vsムエタイに柔術を足した人。寝+打か?打+寝か?総合に転向するなら、どちらが有利?そんな視点で観ようと思ったものの…。瀧本は、いや、吉田道場は、ローキックのカットや足関節対策の練習をしていないのだろうか?進歩を感じられず。
<第4試合>
●ピーター・グラハム×藤田和之○
ピーター・グラハム…後回し蹴りでバダ・ハリのアゴを粉砕して一躍有名になった男って皆、忘れているかも。前日の会見騒動は仕込み?と思える程、呆気無い秒殺一本での幕切れ。藤田のタックルは”しかけ”が、分かりやす過ぎ。
<第5試合>
○三崎和雄×シアー・バハドゥルザダ●
『三崎、ダメじゃん!』一緒にTV観戦していた友人の一言。いやいや、バハドゥルザダも現役修斗世界王者ですから。『やっぱ、ブラジル人は強いね!』いやいや、違います。苦戦を強いられていた三崎は、突っ込んできたバハドゥルザダを上手くがぶって、フロントチョークをガッチリ一閃。プロの試合としては、100点満点の試合内容。
<第6試合>
○五味隆典×ドゥエイン・ラドウィック●
感想は「おお!久しぶりの五味。あっ、終わりました」以上。五味のパンチは、やはりキレがあり重い事を再認した。盛り上がったが、本人の言うとおり消化不良。本当に戦極のリングで自分を出せるのか?
<第7試合>
●吉田秀彦×ジョシュ・バーネット○
総合のリングで、あんなにキレイなバックドロップを見れるなんて!喜びすぎて、テーブルのグラスを倒し友人宅のカーペットを汚してしまう。スンマセン。その後の試合中もジャーマン、パワーボムをそれとなく狙って仕掛けるジョシュを見ていて、事前の嫌な噂が一瞬、脳裏を過ぎる。そんな心配を他所にジョシュは吉田をリフトアップ、マウント、ツイストと次々に攻めまくる。まさにキャッチ・アズ・キャッチ・キャン!バテバテの吉田に、ダメ出し連発するセコンド柔くんのコメントが音声に「動かなきゃダメだ!」「腕外して!攻めて!いかないとダメだ!あいてるって!」堪り兼ねた解説席の郷野が「もっと、選手の気持ちを理解してあげて、声をかけた方がいい」と苦言。さすがご尤もな意見。そして、フィニッシュは3R。タップリ魅せ場を作っていたジョシュがアンクルホールドを仕掛け、逆足をクロスさせて膝十字に移行し、再び、アンクルを取って吉田は即、タップ。勝利したジョシュは意味不明なベルトを腰に巻かれていた。
●ファブリシオ・モンテイロ×ニック・トンプソン○
”ジョークみたいな団体”と揶揄されたBodogのウェルター王者であるトンプソンとDEEPで國奥、中尾、阿部兄を撃破した実力者ファブモンテが、互いの持ち味を出し切り、激闘を繰り広げる。本日のベストバウトも日本では馴染みの薄い2人に会場は全く盛り上がらず。僕はファブモンテが有利と見ていたが、結果は凌いだだけに見えたニック。戦極ルールもダメージ重視なのか。
<第2試合>
○川村亮×アントニオ・ブラガ・ネト●
出ました!グレイシーバッハっぽい試合。敢えてタックル、どこまでもタックル、最後までタックル。でも何故か?今回は、”グレイシーフュージョン”と登録されていた。なんだろう?川村亮は、もっとキレのある試合を展開する選手なのに、グレイシー”コック”に塩味にされてしまった。残念。
<第3試合>
●瀧本誠×エヴァンゲリスタ・サイボーグ○
柔道に打撃を足した人vsムエタイに柔術を足した人。寝+打か?打+寝か?総合に転向するなら、どちらが有利?そんな視点で観ようと思ったものの…。瀧本は、いや、吉田道場は、ローキックのカットや足関節対策の練習をしていないのだろうか?進歩を感じられず。
<第4試合>
●ピーター・グラハム×藤田和之○
ピーター・グラハム…後回し蹴りでバダ・ハリのアゴを粉砕して一躍有名になった男って皆、忘れているかも。前日の会見騒動は仕込み?と思える程、呆気無い秒殺一本での幕切れ。藤田のタックルは”しかけ”が、分かりやす過ぎ。
<第5試合>
○三崎和雄×シアー・バハドゥルザダ●
『三崎、ダメじゃん!』一緒にTV観戦していた友人の一言。いやいや、バハドゥルザダも現役修斗世界王者ですから。『やっぱ、ブラジル人は強いね!』いやいや、違います。苦戦を強いられていた三崎は、突っ込んできたバハドゥルザダを上手くがぶって、フロントチョークをガッチリ一閃。プロの試合としては、100点満点の試合内容。
<第6試合>
○五味隆典×ドゥエイン・ラドウィック●
感想は「おお!久しぶりの五味。あっ、終わりました」以上。五味のパンチは、やはりキレがあり重い事を再認した。盛り上がったが、本人の言うとおり消化不良。本当に戦極のリングで自分を出せるのか?
<第7試合>
●吉田秀彦×ジョシュ・バーネット○
総合のリングで、あんなにキレイなバックドロップを見れるなんて!喜びすぎて、テーブルのグラスを倒し友人宅のカーペットを汚してしまう。スンマセン。その後の試合中もジャーマン、パワーボムをそれとなく狙って仕掛けるジョシュを見ていて、事前の嫌な噂が一瞬、脳裏を過ぎる。そんな心配を他所にジョシュは吉田をリフトアップ、マウント、ツイストと次々に攻めまくる。まさにキャッチ・アズ・キャッチ・キャン!バテバテの吉田に、ダメ出し連発するセコンド柔くんのコメントが音声に「動かなきゃダメだ!」「腕外して!攻めて!いかないとダメだ!あいてるって!」堪り兼ねた解説席の郷野が「もっと、選手の気持ちを理解してあげて、声をかけた方がいい」と苦言。さすがご尤もな意見。そして、フィニッシュは3R。タップリ魅せ場を作っていたジョシュがアンクルホールドを仕掛け、逆足をクロスさせて膝十字に移行し、再び、アンクルを取って吉田は即、タップ。勝利したジョシュは意味不明なベルトを腰に巻かれていた。
闘議(とうぎ)沈まぬ太陽はない、だが、再び昇らぬ太陽もない |
u-spirit 2008.02.14 |
「沈まぬ太陽はない、だが、再び昇らぬ太陽もない」
3年以上沈んでいた太陽が、今再び、激しく躍動し閃光を放ち光り輝いた。舞台も違い、暫定ではあるものの、UFCヘビー級のチャンピオンベルトを高々と掲げ、更なる高み”統一王座”を呼びかけた。
完全に負け試合だった。2m超の巨人の前で柔術マジシャンは小さく見えた。ティム・シルビアに対応する為にウェイトは絞らず、自身、最重量で挑んだ試合は、動けず、打てず、転がせずとノゲイラらしくない内容で、時折、シルビアの巨漢パンチをモロに喰らいながら、無情にラウンドだけが過ぎて行く。
如何ともし難い体格差か…半ば諦めていた時、テイクダウンからスイープ、そしてサイドから顔を跨いで罠をはり、まんまと立ち上がろうとしたティム・シルビアに電光石火のフロントチョーク。鮮やか過ぎて観客は呆気にとられる。振り返ってみればPRIDEでも再三、大逆転劇を魅せてくれていたミノタウロ。彼が最も優れていたのは、マジシャンと呼ばれる柔術テクニック以上に、メンタル面とフィジカル面の群を抜いた”強靭さ”だった事を再認させられる。
確かにベルトを奪取したものの、前回のヒース・ヒーリング戦と同様、ノゲイラにとって不甲斐無い試合内容だった。オクタゴンにアジャストしきれていないと指摘されていた点も、殆ど改善が見られなかった。
ノゲイラと共にPRIDEで一時代を築いたヴァンダレイ・シウバも、台頭しつつあったマウリシオ・ショーグンも、PRIDEから移籍した選手が、金網内で惜敗する姿を一体、何試合、観て来ただろう。あんなにPRIDEのリングで輝いていた選手たちの度重なる敗戦、そして、辛うじて勝利できたノゲイラの苦戦に、UFCというオクタゴンに潜む穴を考えさせられる。
総合の現役選手曰く、一番大きく違うのはリングと金網の広さの違い、そして、下に敷かれたマットの柔らかさの違い、空間が同じ様で全くの別物。言葉や理論では理解できない。慣れるには多少の時間が必要である。と聞いた。正直、素人の僕にはピンと来ないが、これだけ、元PRIDE選手の苦戦を目の当たりにすれば、道理が通る。
ただ、今はミノタウロの勝利を祝福したいし、先日、他界された百瀬氏も、ご存命であれば大そう喜んでいたに違いない。
「柔よく剛を制す」
武道者がアメリカンサイズの巨漢ヤンキーを締め上げタップアウトを奪うシーンを僕は待ちわびていた。そして、練習の鬼であるノゲイラなら、統一王座戦に向けて、必ず欠点は克服してくる。今までも、そうだった。心配はあまりしていない。だけど、こんな素晴らしい試合が、総体的に殴り合いだけを好む風潮のアメリカ人しかLIVEで楽しめない現状が恨めしい。
3年以上沈んでいた太陽が、今再び、激しく躍動し閃光を放ち光り輝いた。舞台も違い、暫定ではあるものの、UFCヘビー級のチャンピオンベルトを高々と掲げ、更なる高み”統一王座”を呼びかけた。
完全に負け試合だった。2m超の巨人の前で柔術マジシャンは小さく見えた。ティム・シルビアに対応する為にウェイトは絞らず、自身、最重量で挑んだ試合は、動けず、打てず、転がせずとノゲイラらしくない内容で、時折、シルビアの巨漢パンチをモロに喰らいながら、無情にラウンドだけが過ぎて行く。
如何ともし難い体格差か…半ば諦めていた時、テイクダウンからスイープ、そしてサイドから顔を跨いで罠をはり、まんまと立ち上がろうとしたティム・シルビアに電光石火のフロントチョーク。鮮やか過ぎて観客は呆気にとられる。振り返ってみればPRIDEでも再三、大逆転劇を魅せてくれていたミノタウロ。彼が最も優れていたのは、マジシャンと呼ばれる柔術テクニック以上に、メンタル面とフィジカル面の群を抜いた”強靭さ”だった事を再認させられる。
確かにベルトを奪取したものの、前回のヒース・ヒーリング戦と同様、ノゲイラにとって不甲斐無い試合内容だった。オクタゴンにアジャストしきれていないと指摘されていた点も、殆ど改善が見られなかった。
ノゲイラと共にPRIDEで一時代を築いたヴァンダレイ・シウバも、台頭しつつあったマウリシオ・ショーグンも、PRIDEから移籍した選手が、金網内で惜敗する姿を一体、何試合、観て来ただろう。あんなにPRIDEのリングで輝いていた選手たちの度重なる敗戦、そして、辛うじて勝利できたノゲイラの苦戦に、UFCというオクタゴンに潜む穴を考えさせられる。
総合の現役選手曰く、一番大きく違うのはリングと金網の広さの違い、そして、下に敷かれたマットの柔らかさの違い、空間が同じ様で全くの別物。言葉や理論では理解できない。慣れるには多少の時間が必要である。と聞いた。正直、素人の僕にはピンと来ないが、これだけ、元PRIDE選手の苦戦を目の当たりにすれば、道理が通る。
ただ、今はミノタウロの勝利を祝福したいし、先日、他界された百瀬氏も、ご存命であれば大そう喜んでいたに違いない。
「柔よく剛を制す」
武道者がアメリカンサイズの巨漢ヤンキーを締め上げタップアウトを奪うシーンを僕は待ちわびていた。そして、練習の鬼であるノゲイラなら、統一王座戦に向けて、必ず欠点は克服してくる。今までも、そうだった。心配はあまりしていない。だけど、こんな素晴らしい試合が、総体的に殴り合いだけを好む風潮のアメリカ人しかLIVEで楽しめない現状が恨めしい。
百瀬博教(ももせひろみち) 享年67歳
呆気のない程の御仁の幕切れ。
常にPRIDEの会場で猪木や藤原ヒロシらと同席し、「FOREVER YOUNG AT HEART」と刺繍された印象深い帽子とサングラス姿で、時にはプロデューサーとして、時には勝利者賞のプレゼンターとして、目立っていた御仁。しかし、いつの間にかPRIDE会場でも見かけなくなり、未だに『一体、誰だ?』と思っている人も多いだろう。
御仁は、PRIDE発足にあたり数千万円を出資した人であの週刊現代で取り上げられた”PRIDEの黒い噂”。事の発端は百瀬御仁が主催する”鳥越祭を愉しむ会”の写真であると聞いた。ところが実際は記事が掲載される3年前の2003年に民放各局間で熾烈を極めた大晦日格闘技興行争いの件で、興行界で顔の利く御仁がPRIDEから身を引いた為に、御仁の影響下でなくなったDSEは、悪しき団体への抑制が効かなくなり、興行収入に群がる圧力に屈していく事となった。あまり詳しく書けないが、確かに任侠の家庭に生まれ、生涯アウトローだった御仁もダークサイドな部分を含んではいたが、とても正しい事を言っていた。
2002年8月15日。PRIDE GP 2004 ヘビー級決勝戦。前年、王座を奪われたヒョードルへのリベンジを胸に、這い上がって来たノゲイラが、ヒョードルのパウンドを回避している時、偶発したバッティングにより、試合続行不可能とジャッジが下り、ノーコンテストとなった。それを御仁は自身のサイトで『ノゲイラの背中』と題し、こう書いた。
百瀬博教オフィシャルサイトより引用
ー思いもよらない結末に失望した。
ー誇りを賭けた真剣勝負(ガチンコ)の舞台で無効試合(ノーコンテスト)とは一体どういうことなのか。
ーまったく納得がいかなかった。
ー高い金を払って遠い会場へやってきた観客はルールを見に来ているわけじゃない。
ー誰が一番強いかを見に来ている。
ー誰がなんと言おうがこの大会の優勝者はノゲイラで
ー賞金2000万は故郷の町へ持って帰らすべきだった。
覆った状況は違えど、昨年の三崎vs秋山の試合にも同じ事は言える。これ以外にも、御仁は特に世の若者、次世代に対して心にしみるメッセージや名言を数多く残している。詳しくは、浅草キッドのHP内にある2003年に文化放送でオンエアされた『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』のテキスト化された内容を読んで頂きたい。絶対に何か心に刺さるはず。昭和の豪傑、導(しるべ)と慕いし大先輩が、また一人。
心からご冥福をお祈りいたします。
参考リンク:『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』
呆気のない程の御仁の幕切れ。
常にPRIDEの会場で猪木や藤原ヒロシらと同席し、「FOREVER YOUNG AT HEART」と刺繍された印象深い帽子とサングラス姿で、時にはプロデューサーとして、時には勝利者賞のプレゼンターとして、目立っていた御仁。しかし、いつの間にかPRIDE会場でも見かけなくなり、未だに『一体、誰だ?』と思っている人も多いだろう。
御仁は、PRIDE発足にあたり数千万円を出資した人であの週刊現代で取り上げられた”PRIDEの黒い噂”。事の発端は百瀬御仁が主催する”鳥越祭を愉しむ会”の写真であると聞いた。ところが実際は記事が掲載される3年前の2003年に民放各局間で熾烈を極めた大晦日格闘技興行争いの件で、興行界で顔の利く御仁がPRIDEから身を引いた為に、御仁の影響下でなくなったDSEは、悪しき団体への抑制が効かなくなり、興行収入に群がる圧力に屈していく事となった。あまり詳しく書けないが、確かに任侠の家庭に生まれ、生涯アウトローだった御仁もダークサイドな部分を含んではいたが、とても正しい事を言っていた。
2002年8月15日。PRIDE GP 2004 ヘビー級決勝戦。前年、王座を奪われたヒョードルへのリベンジを胸に、這い上がって来たノゲイラが、ヒョードルのパウンドを回避している時、偶発したバッティングにより、試合続行不可能とジャッジが下り、ノーコンテストとなった。それを御仁は自身のサイトで『ノゲイラの背中』と題し、こう書いた。
百瀬博教オフィシャルサイトより引用
ー思いもよらない結末に失望した。
ー誇りを賭けた真剣勝負(ガチンコ)の舞台で無効試合(ノーコンテスト)とは一体どういうことなのか。
ーまったく納得がいかなかった。
ー高い金を払って遠い会場へやってきた観客はルールを見に来ているわけじゃない。
ー誰が一番強いかを見に来ている。
ー誰がなんと言おうがこの大会の優勝者はノゲイラで
ー賞金2000万は故郷の町へ持って帰らすべきだった。
覆った状況は違えど、昨年の三崎vs秋山の試合にも同じ事は言える。これ以外にも、御仁は特に世の若者、次世代に対して心にしみるメッセージや名言を数多く残している。詳しくは、浅草キッドのHP内にある2003年に文化放送でオンエアされた『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』のテキスト化された内容を読んで頂きたい。絶対に何か心に刺さるはず。昭和の豪傑、導(しるべ)と慕いし大先輩が、また一人。
心からご冥福をお祈りいたします。
参考リンク:『百瀬博教の柳橋キッド 第16回』
闘議(とうぎ)ノーコンテスト裁定の末に ~071231_やれんのか!~ |
u-spirit 2008.02.05 |
原題:やりすぎんだよ!
誰が悪い訳でもない。
今日、都心に降り積もった雪の様に、みんなの心に刻まれた”あの日”を白く塗りつぶしてしまおう。
導き出された解答はノーコンテスト。あの日の熱狂は、無かった事にしよう。強烈なインパクトと共にあの場に居た観客の記憶には残っているが、記録には残こさない。そんな、”やれんのか!”が下した裁定を受け、撃沈したあの日以来、公に姿を見せなかった秋山成勲が記者会見を開いた。正直、内容を聞いて驚いた。
「もう一度、同条件で三崎和雄と闘いたい」と言ってのけた。あの、孤立無援な完全アウェーのリングに、もう一度、立ちたいと言わせる程、彼を掻き立てるモノは何だ?でも、残念ながら”あの状況”は二度と再現できない。何故なら、”あの時”居合わせたファンの中で、勝敗や裁定以上に三崎が言った”秋山の魂”に心打たれた者が、再戦の際には秋山に必ず声援を送るから、完全なアウェーとは絶対にならない。あの日の秋山はファンの胸に深く刻みこまれた。それは間違いない。
正直に言うと再戦には反対だ。今回下った裁定に不満は無いが、個人的に”即再戦”や”即リベンジ”そのものが余り好きではないから。一定期間を開けた後、数年後に対峙するなら賛同もするが、”勝って欲しかった選手”が勝利するまで、何度も同一相手とカードを組んであげる傾向は、生身の人間が削り合わねばならない競技として、好ましくない気がする。
プレイヤーが勝つまで、電源オン・オフを繰り返しリトライするコンピューターゲームかの様に、いとも簡単に”やり直し”を誘発し、何度も同じ相手同士を奪い合わせる発想は、あまりに安直だし危険だ。書面上、ノーコンテストとして消えてしまった今回の対戦においても、その思いは同じ。
”魔王”というより”羅王”となりつつある秋山成勲を今、闘わせるなら、ショーグン、シウバ、ヘンダーソンが最も相応しいが、いくら大連立でも、UFC所属選手となった彼らをブッキングするのは不可能。
ならば、実現可能な残された選択肢、それは、吉田秀彦しかない。と個人的に思う。谷川氏の言うとおりならば、優先的な契りのあった三崎和雄を事情を知らなかったとは言え、結果としてスッ飛ばしてブッキングした”戦極”サイドにも若干の非がある訳で、働きかければ、秋山×吉田は簡単に実現すると思うのだが。やはり、”戦極”は大連立には参加せず、自分たちの大きな木の下から出ず、ドンキホーテを気取り、我が道を行くか…。
誰が悪い訳でもない。
今日、都心に降り積もった雪の様に、みんなの心に刻まれた”あの日”を白く塗りつぶしてしまおう。
導き出された解答はノーコンテスト。あの日の熱狂は、無かった事にしよう。強烈なインパクトと共にあの場に居た観客の記憶には残っているが、記録には残こさない。そんな、”やれんのか!”が下した裁定を受け、撃沈したあの日以来、公に姿を見せなかった秋山成勲が記者会見を開いた。正直、内容を聞いて驚いた。
「もう一度、同条件で三崎和雄と闘いたい」と言ってのけた。あの、孤立無援な完全アウェーのリングに、もう一度、立ちたいと言わせる程、彼を掻き立てるモノは何だ?でも、残念ながら”あの状況”は二度と再現できない。何故なら、”あの時”居合わせたファンの中で、勝敗や裁定以上に三崎が言った”秋山の魂”に心打たれた者が、再戦の際には秋山に必ず声援を送るから、完全なアウェーとは絶対にならない。あの日の秋山はファンの胸に深く刻みこまれた。それは間違いない。
正直に言うと再戦には反対だ。今回下った裁定に不満は無いが、個人的に”即再戦”や”即リベンジ”そのものが余り好きではないから。一定期間を開けた後、数年後に対峙するなら賛同もするが、”勝って欲しかった選手”が勝利するまで、何度も同一相手とカードを組んであげる傾向は、生身の人間が削り合わねばならない競技として、好ましくない気がする。
プレイヤーが勝つまで、電源オン・オフを繰り返しリトライするコンピューターゲームかの様に、いとも簡単に”やり直し”を誘発し、何度も同じ相手同士を奪い合わせる発想は、あまりに安直だし危険だ。書面上、ノーコンテストとして消えてしまった今回の対戦においても、その思いは同じ。
”魔王”というより”羅王”となりつつある秋山成勲を今、闘わせるなら、ショーグン、シウバ、ヘンダーソンが最も相応しいが、いくら大連立でも、UFC所属選手となった彼らをブッキングするのは不可能。
ならば、実現可能な残された選択肢、それは、吉田秀彦しかない。と個人的に思う。谷川氏の言うとおりならば、優先的な契りのあった三崎和雄を事情を知らなかったとは言え、結果としてスッ飛ばしてブッキングした”戦極”サイドにも若干の非がある訳で、働きかければ、秋山×吉田は簡単に実現すると思うのだが。やはり、”戦極”は大連立には参加せず、自分たちの大きな木の下から出ず、ドンキホーテを気取り、我が道を行くか…。
原題:負けんのか!抑圧に…
先日、上げたコラムに意外な程、苦情が殺到した。その苦情内容とは、「秋山を擁護し過ぎ!」と。別に擁護したつもりは無いが…。ノーコンテストという裁定に不服が無いと述べた僕の意見が、皆さん、お気に召さなかったようだ。
言葉足らずで申し訳なかったが、僕個人の中では、既にあの日、リングで観たままが答えであり、後から外野が”物言い”をつけて、それらしい理由を紙切れ一枚で発表しようが、朽ちた者が記者会見を開こうが、あの日、あの場に最後に立っていた者こそが”勝者”であり、その事実は覆らない。これが結論であるからあえて、異は唱えなかった次第であります。
そもそも、僕も格闘技好きな”ド素人”でしかなく、競技上の機微やルール認識まで掘り下げて追求はできない。”決闘”としての側面と”競技”としての側面が存在する"格闘技"において、勝敗を客観的に裁定するなら実際に競技者に聞かないと本当のところは分からない。
そこでこの週末、名前は伏せるが現役の総合格闘家2名に会い、競技者としての見解と意見を聞いてきた。先ず、2名が口を揃えて「本来の実力は、秋山選手が上だったと思います」と答えた。ただ、あの特異な空気に満ちた会場であり、当然、”平常心”を削がれ、あの日のリングでは両者、普段どおりとは言い難い状態でした。”別のチカラ”が、上手く作用した者と反作用した者に明暗がクッキリ出ました」とも付け足した。その前置きがあって、話題は”問題の4点ポジション”へと。
「問題の蹴りは、完全に流れの中での攻撃であり、かつ、あの体制を4点ポジションと呼んだ事も認識も僕らには今まで無い」と断言。更に、「あの名勝負がノーコンテストでは、あまりに三崎選手が可哀相だ」と。
続けて「そもそも、三崎選手の放った1発目のフックで、秋山選手は相当効いていたと見受けられた。それは、その後のアクションで明確に分かる。追い討ちを警戒したというより、自尊心の強い秋山選手の性格が災いし、初めてパンチを貰ってダウンした事に焦り、"やばい、格好悪い"と即、”体裁を取り繕う”為に、まだ、ダメージが抜け切らず、思うように体が動かぬ間に、起き上がろうとした事が”重大なミス”であり、結果的にフィニッシュの蹴りを喰らうハメになったんでしょう。あんなパンチをもらったら、直ぐには体が動きません。柔道家だから、落ち着いてグランドへ移行するなり、相手を引き込み密着して呼吸を整えるとか、普段の秋山選手なら出来たでしょう。それが、試合のアヤという怖さです。実力以上を発揮できる部分と、練習した事が全く出せない部分があり、それが試合後、自分の修正や反省の糧となり、次に向け練習するのです」と言った。
ご尤(もっと)も!!納得した。
「当事者として自分が犯した”試合中のミス”は、自分で分かっている筈。なのに、後で”蹴りは反則だ!"と抗議するのは、同じ競技に関わる選手の立場から言うと、非常に格好悪いとの印象を持ったが、秋山選手本人が率先してというより、周囲に絆された抗議と解釈している。結果さえもひっくり返すチカラを持っている秋山陣営と今後、多くの団体や選手は、試合をしたがらないでしょうね」とも言っていた2人。
彼らはバイトしながら、試合の宛が無くても、一生懸命、毎日、練習している。そんな、直向な若者と権力を振りかざすズルい大人と、それに屈した情けない大人どちらが正しき者なのか?僕はまだ、正常に判断できる。だから、それでいい。
先日、上げたコラムに意外な程、苦情が殺到した。その苦情内容とは、「秋山を擁護し過ぎ!」と。別に擁護したつもりは無いが…。ノーコンテストという裁定に不服が無いと述べた僕の意見が、皆さん、お気に召さなかったようだ。
言葉足らずで申し訳なかったが、僕個人の中では、既にあの日、リングで観たままが答えであり、後から外野が”物言い”をつけて、それらしい理由を紙切れ一枚で発表しようが、朽ちた者が記者会見を開こうが、あの日、あの場に最後に立っていた者こそが”勝者”であり、その事実は覆らない。これが結論であるからあえて、異は唱えなかった次第であります。
そもそも、僕も格闘技好きな”ド素人”でしかなく、競技上の機微やルール認識まで掘り下げて追求はできない。”決闘”としての側面と”競技”としての側面が存在する"格闘技"において、勝敗を客観的に裁定するなら実際に競技者に聞かないと本当のところは分からない。
そこでこの週末、名前は伏せるが現役の総合格闘家2名に会い、競技者としての見解と意見を聞いてきた。先ず、2名が口を揃えて「本来の実力は、秋山選手が上だったと思います」と答えた。ただ、あの特異な空気に満ちた会場であり、当然、”平常心”を削がれ、あの日のリングでは両者、普段どおりとは言い難い状態でした。”別のチカラ”が、上手く作用した者と反作用した者に明暗がクッキリ出ました」とも付け足した。その前置きがあって、話題は”問題の4点ポジション”へと。
「問題の蹴りは、完全に流れの中での攻撃であり、かつ、あの体制を4点ポジションと呼んだ事も認識も僕らには今まで無い」と断言。更に、「あの名勝負がノーコンテストでは、あまりに三崎選手が可哀相だ」と。
続けて「そもそも、三崎選手の放った1発目のフックで、秋山選手は相当効いていたと見受けられた。それは、その後のアクションで明確に分かる。追い討ちを警戒したというより、自尊心の強い秋山選手の性格が災いし、初めてパンチを貰ってダウンした事に焦り、"やばい、格好悪い"と即、”体裁を取り繕う”為に、まだ、ダメージが抜け切らず、思うように体が動かぬ間に、起き上がろうとした事が”重大なミス”であり、結果的にフィニッシュの蹴りを喰らうハメになったんでしょう。あんなパンチをもらったら、直ぐには体が動きません。柔道家だから、落ち着いてグランドへ移行するなり、相手を引き込み密着して呼吸を整えるとか、普段の秋山選手なら出来たでしょう。それが、試合のアヤという怖さです。実力以上を発揮できる部分と、練習した事が全く出せない部分があり、それが試合後、自分の修正や反省の糧となり、次に向け練習するのです」と言った。
ご尤(もっと)も!!納得した。
「当事者として自分が犯した”試合中のミス”は、自分で分かっている筈。なのに、後で”蹴りは反則だ!"と抗議するのは、同じ競技に関わる選手の立場から言うと、非常に格好悪いとの印象を持ったが、秋山選手本人が率先してというより、周囲に絆された抗議と解釈している。結果さえもひっくり返すチカラを持っている秋山陣営と今後、多くの団体や選手は、試合をしたがらないでしょうね」とも言っていた2人。
彼らはバイトしながら、試合の宛が無くても、一生懸命、毎日、練習している。そんな、直向な若者と権力を振りかざすズルい大人と、それに屈した情けない大人どちらが正しき者なのか?僕はまだ、正常に判断できる。だから、それでいい。
闘議(とうぎ)他競技から得た秋山事件の答え ~071231_やれんのか!~ |
u-spirit 2008.02.05 |
365日間、格闘技ファンの胸に突き刺ってきた痞(つか)え。
今の世の中、権力者に都合良く、何事も有耶無耶にされ、理不尽がまかり通り、みんなが利己主義に”利得”しか追求しない。多くの人は、これを”矛盾”と受け入れ、半ば諦めて生きている。僕自身も、その中の一人。
しかし、こと競技やスポーツと呼ばれる類において、特に裸身で闘う”格闘技”のリングだけは、他のチカラの及ぶ事のない聖域だと信じてきた。その聖域で戦う武人は我々の理想像であり、指針だと思ってきた。しかし一昨年末、「勝つ事が全て」と己の持ち合わせたスキルを誇示せず、故意にルールを逸脱し、姑息な手段を用いた挙句、クレームを付け、桜庭を非難してまで、言い逃れをした秋山。処分は下されたものの、釈然としないまま嫌な気持ちだけが、武人への憧れを抱いていたファンの心根に深く蔓延った。やっぱり、どの世界も…と。だが、一人の男が秋山事件という痞えにピリオドを打ってくれた。
三崎和雄よ、ありがとう。
雄叫びを上げ、声が枯れ、見ず知らずの隣の人と抱き合って、喜びを分かち合いながら、泣いた。
そして、試合後の三崎は
「お前は去年、沢山の人と子供たちを裏切った。オレは絶対に許さない。でも、今日試合をして、お前の気持ちがオレにも届いた。だから、これからはリングの上で沢山の人たちと子供たちに、誠意を見せて闘ってほしい」
と秋山の目を見ながら語った。
この一年、この事件の本質を考えていた。そして、他競技を見ている時に、あるヒントに辿り着いた。
本来、「競技者としてスポーツマンシップに則るのは当然だ」と日本人の誰もが思うのだが、冷静に世界を見渡せば、多くの国や民族が”勝利至上主義”であり、強(したた)かに勝負に挑んでくる。「正々堂々と潔く」を重んじる”武道精神”を貫いているのは、我々、日本だけだ。
例えば世界のサッカーで多用される「ずる賢さ」などが最たるもので、記憶に新しい野球の北京オリンピック・アジア最終予選でも、韓国は直前になってスターティングメンバーを7名も入れ替え、事前の紳士協定を無視して、「ルール規定内だ」と主張していた。柔道の世界選手権でも、国際ルール規定に基づき”後付けの技”を有効と見なされたり、我々から見れば卑怯と映る行為も、お国が違えば許容範囲とされるのが現実だ。このギャップが今回の騒動をここまで増幅させた要因なのかもしれない。
強(したた)かな相手にどう、対抗すれば良いのか?答えはひとつ。
揺るぎない強さを備えればいい。今回の三崎和雄や野球の星野JAPANが体現したように”強かさ”には”力強さ”で対抗するしかない。それが、唯一の方法。やはり、日本人として”強い者は正しくあれ!”とまでは言わないが、本物なら姑息に欺く事無かれ。と言いたい。そして、格闘技においては、”武道精神”を絶対に失って欲くない。
諸外国に”平和ボケのお人好し日本人”と嘲笑われて、迎合し同じ戦法で”強かに”走った時点で、古からの教え、日本人としての”誇り”や”魂”を捨てる事を意味する。”武道精神”は”大和魂”であり、世界に誇れる我々のアイデンティティそのものなのだから。正々堂々と勇敢に闘った武人には、勝敗に関係なく、心から敬意を示す。今回の試合後に秋山に対しても声援と拍手が起こった事実が、日本人の心意気を表している。
観戦していた秋山の親友の清原和博が会場のブーイングや、三崎の秋山に対する意見にムカついたと発言したらしいが、三崎の所属するGRABAKAの選手たちは、数年前ジムもなく駒沢公園で体育用のマットを敷いて練習をしていた。そんな環境下でも直向に総合格闘技の明日を夢見て、努力して今日がある。競技にかける想いの長けが彼らにはある。
それを秋山の友人だからと野球人の清原が、同じ土俵に上がりもしないで、三崎の顔を蹴り上げたいと発言するのは、おかしな話だ。それに、当人の秋山は最初から最後まで”潔く”武人として振舞っていた。あの会場にいた多くの人が、その勇姿を見届け、心打たれ、認めた。秋山に異議を唱える者はもう、居ないだろう。3万人近い観衆に罵声を浴びせられ、孤立無縁の状態で闘いに挑める”強さ”は僕にはない。
あの日の秋山は確かに強かった。これ以上、我々の中で生まれ変わった秋山を辱めないで欲しい。清原よ、余計な心配は無用だ。今の秋山なら、やれんだよ!!
今の世の中、権力者に都合良く、何事も有耶無耶にされ、理不尽がまかり通り、みんなが利己主義に”利得”しか追求しない。多くの人は、これを”矛盾”と受け入れ、半ば諦めて生きている。僕自身も、その中の一人。
しかし、こと競技やスポーツと呼ばれる類において、特に裸身で闘う”格闘技”のリングだけは、他のチカラの及ぶ事のない聖域だと信じてきた。その聖域で戦う武人は我々の理想像であり、指針だと思ってきた。しかし一昨年末、「勝つ事が全て」と己の持ち合わせたスキルを誇示せず、故意にルールを逸脱し、姑息な手段を用いた挙句、クレームを付け、桜庭を非難してまで、言い逃れをした秋山。処分は下されたものの、釈然としないまま嫌な気持ちだけが、武人への憧れを抱いていたファンの心根に深く蔓延った。やっぱり、どの世界も…と。だが、一人の男が秋山事件という痞えにピリオドを打ってくれた。
三崎和雄よ、ありがとう。
雄叫びを上げ、声が枯れ、見ず知らずの隣の人と抱き合って、喜びを分かち合いながら、泣いた。
そして、試合後の三崎は
「お前は去年、沢山の人と子供たちを裏切った。オレは絶対に許さない。でも、今日試合をして、お前の気持ちがオレにも届いた。だから、これからはリングの上で沢山の人たちと子供たちに、誠意を見せて闘ってほしい」
と秋山の目を見ながら語った。
この一年、この事件の本質を考えていた。そして、他競技を見ている時に、あるヒントに辿り着いた。
本来、「競技者としてスポーツマンシップに則るのは当然だ」と日本人の誰もが思うのだが、冷静に世界を見渡せば、多くの国や民族が”勝利至上主義”であり、強(したた)かに勝負に挑んでくる。「正々堂々と潔く」を重んじる”武道精神”を貫いているのは、我々、日本だけだ。
例えば世界のサッカーで多用される「ずる賢さ」などが最たるもので、記憶に新しい野球の北京オリンピック・アジア最終予選でも、韓国は直前になってスターティングメンバーを7名も入れ替え、事前の紳士協定を無視して、「ルール規定内だ」と主張していた。柔道の世界選手権でも、国際ルール規定に基づき”後付けの技”を有効と見なされたり、我々から見れば卑怯と映る行為も、お国が違えば許容範囲とされるのが現実だ。このギャップが今回の騒動をここまで増幅させた要因なのかもしれない。
強(したた)かな相手にどう、対抗すれば良いのか?答えはひとつ。
揺るぎない強さを備えればいい。今回の三崎和雄や野球の星野JAPANが体現したように”強かさ”には”力強さ”で対抗するしかない。それが、唯一の方法。やはり、日本人として”強い者は正しくあれ!”とまでは言わないが、本物なら姑息に欺く事無かれ。と言いたい。そして、格闘技においては、”武道精神”を絶対に失って欲くない。
諸外国に”平和ボケのお人好し日本人”と嘲笑われて、迎合し同じ戦法で”強かに”走った時点で、古からの教え、日本人としての”誇り”や”魂”を捨てる事を意味する。”武道精神”は”大和魂”であり、世界に誇れる我々のアイデンティティそのものなのだから。正々堂々と勇敢に闘った武人には、勝敗に関係なく、心から敬意を示す。今回の試合後に秋山に対しても声援と拍手が起こった事実が、日本人の心意気を表している。
観戦していた秋山の親友の清原和博が会場のブーイングや、三崎の秋山に対する意見にムカついたと発言したらしいが、三崎の所属するGRABAKAの選手たちは、数年前ジムもなく駒沢公園で体育用のマットを敷いて練習をしていた。そんな環境下でも直向に総合格闘技の明日を夢見て、努力して今日がある。競技にかける想いの長けが彼らにはある。
それを秋山の友人だからと野球人の清原が、同じ土俵に上がりもしないで、三崎の顔を蹴り上げたいと発言するのは、おかしな話だ。それに、当人の秋山は最初から最後まで”潔く”武人として振舞っていた。あの会場にいた多くの人が、その勇姿を見届け、心打たれ、認めた。秋山に異議を唱える者はもう、居ないだろう。3万人近い観衆に罵声を浴びせられ、孤立無縁の状態で闘いに挑める”強さ”は僕にはない。
あの日の秋山は確かに強かった。これ以上、我々の中で生まれ変わった秋山を辱めないで欲しい。清原よ、余計な心配は無用だ。今の秋山なら、やれんだよ!!